彼女とお茶してその後…3

駅に向かう帰り足、目の前のいちゃいちゃ夫婦に随分、当てられた気がして、携帯を手にする。

「こんばんは。今いいですか?」
『はい。藤枝さん?どうされました?』
「ちょっと帰り道なんですけど、西村さんと話したくなって」

こんな風に言えるのは電話越しだからだ。ふっと静かになった電話に、思わず耳から離して通話中を確認してしまう。

「もしもし?西村さん?」
『……あ、ごめんなさい。今日は珍しく早くて家にいるんです』
「そうなんですね。それはよかったです。たまにはそういう日もあるべきですよ」
『ほんとですね。家のことをずっとサボっていたから、こうして早いと片付けしたりしてて』
「へぇ……」

電話の向こうが、妙に静かでいて声が疲れていないのは、そのせいかと思う。なんだかもっと話していたくて駅を通り越して歩き出す。

「何してたんですか?片付けとか、掃除?」
『ええ。お掃除です。洗濯機回して、早いうちに掃除機をかけて。こんな日はなかなかなくて。藤枝さんは、少し遅い方ですか?』
「いや、同僚とその旦那が来たんで、一緒に飲んでいたんですけど、だいぶ馬に蹴られ始めたんでさっさと抜けてきたところなんですよ。それで、西村さんがまだ仕事場だったらと思って。残念ですけど、たまの時間を邪魔したら悪いんで……」

電話を切りかけた藤枝に、待って、という声が聞こえた。

『藤枝さん、今どこにいらっしゃるんですか?』
「あ……、今はえーと駅を通り越したんで」

乗り換えの二駅先まで歩くつもりでいたから、現在地と言ってもわかりにくかったが、だいたいの場所を伝えると、そうですか、としばらく西村は黙り込む。

「いや、気を遣わなくてもいいですよ。俺もたまには大人しく帰ってぼーっとしますよ」
『そうですか?もしよかったら、私はあまりお酒飲めないのでつまらないかもしれませんけど、乗換駅まで行きましょうか?』

腕時計を見ると21時半を過ぎたところだ。
珍しく西村の方からの申し出にどくん、と心臓が大きく打つ。

「いいんですか?」
『仕事をしていたら、まだまだ宵の口ですよ。すぐに向かいますね。うち、駅から近いので20分くらいあれば着きますから、どこかわかりやすい場所かお店かありますか?』
「じゃあ……」

乗換駅と言っても、マイナーな駅ではない。私鉄とJRとの交差する駅の出口を指定してから電話を切った。
馬鹿馬鹿しいと思うが、浮かれているのか、緊張しているのか、いつも西村と待ち合わせをする時以上に、何とも言えない感覚に襲われる。

「やっべ、なんだよ。俺……」

ニヤつきそうになる口元を押さえて、足早に進む。2駅分と言っても都内の2駅なら西村が駅に到着するのとほぼ同時につくだろう。
他の彼女たちに電話をする気にもなれなかったのが自分でも驚いてしまう。ただ、リカと空井にあてられたわけではないつもりだが、一番話したい人を選んだという事だ。

無理だと思うから欲しくなるのか、あり得ないと思うから認めたくないのか。

―― いい加減、腹をくくるべきだよな

そうでないならすっぱりと諦めるべき。いつまでも長々と引きずるのは性に合わなかった。
すでにリカという、絶対に認めたくない相手を長年、見続けてきたのだから、もう同じことは繰り返したくない。

―― 俺、いつからこんなに諦め悪くなったかなぁ

認めたくもない、諦めたくもない。
格好悪いことなど、自分には許せない。
後は。

ふっと笑みを浮かべて、大股で歩んでいた足どりが一瞬遅くなる。
そこから、再び足早に歩き出した。

駅について、目当ての店に電話をして空きを確かめるとすぐ二人分で予約する。壁沿いに立っていた藤枝を見つけた西村がヒールの音をさせて近づいてきた。

「お待たせしました」
「おっ。あれ、なんか雰囲気が……」
「変ですか?ちょっと仕事帰りじゃないし、藤枝さんが相手なので……」

髪を下ろして、いつもと分ける位置も違う。メガネもかけていなくて、ふんわりした印象でいつものきれいな人というより可愛い人に見えた。
少しだけ服装もくだけているのか、スカート姿に肩先が見えるカットソーだった。

「変じゃないですよ。失礼かもしれないけど可愛いです」
「ふふ、お世辞でもありがとうございます。じゃあ、お店、どこかご存知です?」
「任せてください。ちょっとは食べられますよね?結局、のんでばっかで俺、食べてないんですよ」

もちろん、と言って藤枝と一緒に歩き出した西村に、ひょい、と左腕を差し出した。
ダメ元で悪戯心半分、浮かれ気分半分で差し出した腕に、くすっと笑った西村は右手を添えた。

「すごく新鮮な感じ。藤枝さんの彼女さんたちに怒られないかしら」
「彼女なんていませんよ。友人ですけど、皆、彼氏がいますし、今日一緒だった同僚だって旦那付きで散々でしたからね」
「藤枝さんが散々ってどんな感じですか」

商店街の間を抜けて、大きな病院の傍を歩く。ここにあったんですね、なんて言いながら歩いて行き、5分ほど歩いたところの道路沿いの重たげな木の扉をあけた。

正面に焼酎なのか、一升瓶がずらりと並んだ入り口を抜けて、奥へ入ると店員が姿を見せる。予約の名前を告げると、二階の個室風の席へと案内された。

「なんだかいい雰囲気ですね」
「でしょう。串焼きなんですけど、安いし、雰囲気いいし、お勧めですよ」

ざっとメニューを開いて好き嫌いがないか西村に聞くと、おしぼりを持ってきた店員にいくつかの好みを告げてコースにできないかと頼む。

「はい。本当はご予約の方中心なんですけど、大丈夫です!」
「じゃあ、白レバー入れてくれる?」
「はい!塩とタレとどちらがいいですか?」
「塩で」

かしこまりましたー、と明るい声で店員が去っていくと、改めて向かい合う。初めはビールを頼んだので、すぐに運ばれてくる。
お通しとビールグラスが二つずつ運ばれてきて、グラスを手にした。

「じゃあ、わざわざありがとうございます」
「いいえ。お電話くださって光栄です。乾杯」

ちん、と細長いグラスのふちをあててグイッと一口飲む。その一口が胃のあたりまで流れていくのを感じた。

「ふう。うまっ!さっきは全然飲んだ気がしなかったんで、すごくうまく感じますよ」
「そんなにあてられたんですか?」

可笑しくて仕方がないという顔で問いかけた西村に肩を竦めて苦笑いを浮かべる。

「もうなれ初めからすったもんだの全部を知ってますからね」
「やっぱり同期って仲がいいんですね。私、今の会社じゃ中途採用なので同期っていないんですよ」
「いや、別にそんなにいいものでもないですよ?」
「そんなこと言ってますけど、藤枝さんだったら稲葉さんのこと、なんだかんだ言って面倒見ちゃいそう」

はは、と受け流してビールを飲んでからあれっと顔を上げた。

投稿者 kogetsu

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