「西村さん。ちょっと……」
「はい」
「この前の問い合わせの件だけど……」
広報の秋山が打ち合わせのついでに西村の席に立ち寄った。
大きなビルの中で各フロアには会議室がある。それぞれ、身近なフロアの会議室を押さえるが広報はあちこちの部署と打ち合わせをするからこそ、広報以外のフロアに顔を出すことも多い。
「じゃあ、こちらで返答しておくから」
「お願いします」
メールでも済むが、立ち寄ったついでに確認すればいい程度のことである。
どちらも今は何とも思っていないから、仕事として当たり前なのだが二人を見る女子社員の目はどちらかというと好奇心に輝いていた。
「……ねぇ、あれ」
「仕事くらいはするでしょ?」
「まさか……ね」
この手の話では男性側があれこれ言われる場合が多い。だが、社内の立場から言っても秋山は男性であっても仕事ができる上に人当たりもよくルックスもいい。西村はそれに対して、やっかみの対象になりやすく、特に女性社員からは誤解されることも多かった。
一緒になった時も離れるときも社内に知らせるようなことはせず、式もしなかったが、やはり旧姓で仕事をしていてもそれなりに伝わる。面倒なことも多かったが、どちらもそれは気にしないということで話はついている。
他社に移ることも一つではあったが、お互い今の立場と職場にやりがいがあった。
秋山が戻って行ったあと、画面に戻った西村はしばらくメールのやりとりをあちこちと済ませた後、喉の渇きを覚えて席を立つ。
自販機に行く前に手洗いに立った西村は鏡の前で自分の姿を見て手を止めた。
疎かにしているわけではないが、特別手をかけているわけでもない。おしゃれに興味がないわけでもないが、職場の可愛らしい女性たちのようにすることはなかなかできないでいる。
ずっと、自分には似合わないと思って地味にしてきたために、今更化粧も服装も、変わりようがないのだ。
それだけに、鏡に映る西村は年齢よりも上に見え、ぎゅっとひっつめた髪もキツイ印象を与えている。
―― こんなおばさんがいい気になってるから……
縁のないはずのきらびやかな世界。華やかな人たち。
そんな一人のはずの藤枝と偶然、知り合う機会ができて、思いがけず何度か食事に行って。
藤枝との時間は楽しかった。
歳など関係なく、仕事柄、藤枝の話題は広くて、気配りもしてくれる。仕事も、何もかも忘れそうになるくらい心地よかった。
断ち切る様に鏡から目を逸らして手を洗う。
甘えた考えはドラマの中だけにしかない。現実にはそんなことはないことを知らないわけじゃない。
―― 夢なんてみない……
振り切る様に温風に手をかざした後、手洗いを出て自販機に立ち寄る。大きな音をさせてペットボトルが落ちて来た後、自分の席に戻った。
「西村さん。メール便と郵便、机の上に」
「ありがとう」
草野という若手が声をかけてきて、机に置かれたメール便の封筒から手に取る。使い終りの封筒に宛先が張り付けられている社内メールの下に小さな封書があった。
「……?」
セミナーやイベント告知以外の郵便物はほとんどが関係会社との見積もりか、請求書のはずなのに、そのサイズはどれにも当てはまらない。
段ボールの様な固い封書は、CDかDVDか、その類のものが入っていると推測できる。そしてそのロゴマークをみて、すぐ西村は封書を机の引き出しに入れた。
帝都テレビのロゴである。
差出人の欄に藤枝とあったのもあって、職場で開封する気になれなかった。
中身が何なのか、意識は封書をしまった引き出しに吸い寄せられたが、今はどうしてもそれを開く勇気がない。
モニターの時計を見て、手にしていた社内メール便を開いた。
用心深さは弱さにつながっているのかもしれない。
年を重ねることは自由にもなる分、怖さを知ることでもある。
家に帰って、鞄を放り出して、パソコンを置いたデスクの前に腰を下ろす。電源をいれてパソコンが立ち上がるのももどかしく、その間に封書を開いた。
何も手紙のようなものは入っていなくて、ノーラベルのディスクが一枚、透明なケースに入っているだけだった。
何も入っていないことは想像の範囲内だったが、ディスクの中身が気になる。
まだランプの点滅するパソコンにディスクを入れると、回転音がして読み込みが始まる。自動的にプレーヤーが動いて、映像が映し出された。
時間にしてどのくらいだろうか。
市販のDVDなどではないから、中に入っているデータが終わればソフトは黒い画面に戻る。
「はー……」
思わず深いため息が出た。
パソコンからディスクを取り出してケースに戻すと入っていた封筒にそのまま戻す。
誰もいない部屋だと言っても、ひどく冷静に封筒に封をして、貼りつけられていた伝票を剥がした。今はパソコンで配送伝票が印刷できるから、書かれている局の住所を入力して、宛名を藤枝様にする。プリンターから吐き出された伝票を張り付けて、西村は立ち上がった。