「……かっこいい若手男子だと思いますよ?」
当たり障りなく、なのか全く本音を読ませない顔に藤枝はなぜだか、ひどくムキになった。
「カッコよくなんかないですよ。全然。仕事場が仕事場でしょう?イケメン男子なんていくらでもいます」
「そうかもしれませんね。でも私からすればかっこいい素敵なイケメン男子ですよ」
まるで聞き分けのない駄々っ子を宥めるような口調に、藤枝は年の差を突き付けられたようでそれはひどく堪えた。
「……お世辞なんかいらねーよ」
思わず口を突いて出た、素の藤枝の一言にふと、西村の殻が緩む。
自分自身を知らないわけではない。
バツイチで10も年上の女だという自覚くらい、当然あるのだ。それに比べて、藤枝は、本人がどう思っていようと、帝都テレビでは人気のアナウンサーの一人である。
最近ではニュースを読む姿が増えてはいたが、やはりバラエティで人気のあった藤枝のことは西村もよく知っていた。
日頃、そんな西村の身の回りにいるはずもないテレビの向こう側の人間と知り合って、こうして時々食事をするようになっただけでも現実だとはなかなか思いづらい。
そんな藤枝にどう思っているのだと聞かれたら、一般論を口にする以外ないではないか。
「……気を悪くさせてしまったらごめんなさい。職場にも藤枝さんと同じくらいの年齢の男性がいるので、つい」
女の目から見て、藤枝のような男性と食事をするのは嬉しいし、藤枝が親しみを込めて接してくれるのを感じて心地よくないわけはない。だが、相手には困らないという藤枝の女性の友人たちと同等に見てもらえると思うような考えはなかった。
「素敵な方だと思ってるのは本当ですよ。格好いいし、優しいし。お世辞じゃありません」
「……ですよね」
大人であることは、時に不自由な枷になる。空井とリカのように、気持ちに一直線に迎えればいいのだろうが、お互いの立場や常識の枠が西村や藤枝を押さえこんでしまう。
「西村さんにそう言ってもらえると、ちょっと自惚れたくなりますね」
「またまた、自惚れってそうじゃなかったらあんなに女性に囲まれないでしょう?」
「友人はたくさんいますよ。一番いい席は空席のままですけどね」
境界線間際までぎりぎりに迫った波は、互いに身をひくことですうっと遊び波に代わる。探るような波とかわす波。
ほろ苦い笑みを浮かべて藤枝は、グラスをあけた。
―― 俺にはあの純愛馬鹿の二人みたいな真似はできない……か……
「それより、西村さん。今日はお仕事早く終わられたみたいでよかったですね。ちょっと珍しい?」
「そうですね。ちょうど二つほど揃って一区切りついたので嬉しくて。大変なのはいつもなんですが、今回も……。あ、ほらこの前、食事をご一緒した時あったじゃないですか?実はあの後、結局終わらなくて会社に戻ったんです」
ぺろっと小さく舌を見せて笑った西村に、あっと驚く。藤枝が家まで送らせてほしい、もっと飲みたいと思ったがそのまま別れてしまったあの後、会社に戻ったというのか。
「え、帰ったんじゃなかった?」
「ええ」
顔を覗き込む藤枝にくしゃっと笑みを浮かべて、恥かしそうに視線を逸らした西村は、グラスに口を付けた。
「本当は、もう一軒行けるような時間でしたよね。あんな時間に会社に戻るなんて、恥かしくて……」
「恥ずかしいってなんですか。かっこいいじゃないですか」
「全然。格好良くなんかないですよ。情けないったら。あんな時間まで終わらないのに、終わってなくてひどいなんてみっともないところを見せたくなかったの。情けなーい」
少しだけ距離を縮めた口調に、ははっと笑みが漏れた。てっきり自分はあのまま家に帰って、生真面目な彼女らしく規則正しい生活でもと思っていたが、まったく違って、会社に戻っていたとは思ってもいなかった。
本当に恥ずかしいらしく、片手で顔を覆った西村は、藤枝の視線を避けるように目を伏せる。
「藤枝さんのお誘いは、極力あけたいなぁと思っているので、頑張ったんですけど、どーしてもどーしてもあの時は終わらなくて、土日も仕事に出ていたので、あのまま帰れる状態じゃなかったんです」
「そんな無理しなくても……」
「そうなんですけど、ね」
リカは、考えたことがすぐ顔に出る。考え事も何もかも見ていれば、ダダ漏れと言うくらいその思考がすぐ読み取れたが西村はほとんどわからない。どこまでが本気で、どこまでが社交辞令なのかもわからないまま、次は西村からもあいている時間があれば声をかけてくれと言った。
「俺の方も終わらない時は終わりませんからね。西村さんの仕事が開いてるときも声かけてくださいよ」
「なかなか、藤枝さんのお仕事がよくわからないので、お仕事中にご迷惑かけたらと思うと、ね。私の方こそ、懲りずに誘ってください。今日みたいな日は本当にラッキーだもの」
「ラッキーって……、明日も西村さん仕事でしょう?お仕事じゃなかったら、もっと飲みましょうって言えるんすけど」
平日の真っ只中でたまたま帰りが早かったという西村に、表で飲んで夜遅くまで付き合わせる気にはなかなかなれない。ちらりと時計を眺めながらも、なかなか思いきれなかった。
「気にしないでくださいね。一人で食事するより全然嬉しいですよ。それにこの店、本当においしい」
いくつめかの串を外して、エリンギのタレで焼いたものを口にすると、口元に手を添えて食べ終えてからこくこくと頷く。
「すっごいおいしい。一番はさっきのレバーかな。私、あんまり得意じゃない方だったけど、あれトロトロですごくおいしかった」
「うまいでしょ?あれを食べさせたくて誘ったんです。俺もなかなか来れないんだけど、やっぱりアレ食べたくなるんですよ」
箸休めに柚子のシャーベットが出てきて、それにも西村はおいしいと言った。
「お酒あんまり強くないからこういうの、嬉しい。いいお店知っちゃいました」
「俺の知り合いの店でもなんでもないけどおススメです。てか、また来ましょう」
「是非お願いします」
お互いに軽く頭を下げ合って、笑いあうと、そこからはごく普通に世間話に話がうつった。映画の話、音楽の話、流行ものの話といくら話していても途切れることはない。お互いに話題も豊富で一つの話題で少しずつ、お互いの考え方や好みがわかる様になってくる。
「藤枝さん、じゃあ、食べ物に好き嫌いないんですか?」
「ほとんどないですね。苦手なのは何だろうなぁ。あー……。あれ、苦手です。カレーのさらさらした奴?いわゆる普通のカレーは好きなんですけどね。凝ったやつっていうか、本場の?あれは苦手ですね」
「えー、ほんとですか?藤枝さん、そういう小じゃれたやつも好きそうに見えるのに」
「小じゃれたってなんですか。普通だよ、普通」
笑いながら小さな蒸篭に入ったおこわを食べる。シメはフルーツと梅のシャーベットでさっぱりとしたものだった。
「すごい。美味しかったです。食べないつもりで結局全部食べちゃった」
「うん、食べてましたね。お酒だめっていうけど食べるのはいけるんだ?」
「うっかりするとすぐ太ります。忙しいのはある意味ダイエットかな。これがまた、忙しすぎるともっと駄目なんですよ。かえって食べちゃって太るの」
手振りで示すと、温かいお茶をオーダーする。二人分の温かいお茶が運ばれてきて、それを二人で差し向かいで飲む。
「食べるの?そんなに」
「食べる、食べる。眠くなったり、疲れたり、苛々しちゃうから食べるのね。食べると落ち着くし、休憩になるから。でも、そうやって食べちゃうときりがなくて」
「で、太っちゃうんだ」
言わないで、と頭を下げた西村の頭に藤枝が手を伸ばした。
少しずつ互いに言葉が砕け始めて、完全にではないが時々ため口が混ざる。その勢いで、撫でるように頭に触れた。