「そりゃあね。あれ、初めの頃の話って聞いてないんだ?」
「いや。しらね。そういや……なんかNGワード言ったみたいで落ち込んでたけど、あの頃は異動したてでめちゃくちゃへこんでたからなぁ」
「そっか。そうだったんだ。もうとっくに時効だからいいんだけどさ。戦闘機乗りだった俺に向かって、人殺しの道具だって言ったわけ」
「はぁ?!」
―― アイツ、何をいって……。てか、それを言ったくせによくこの二人……っ
頭を抱えた藤枝に、それが普通の反応だよね、と大祐が笑う。
「そう思うよ。俺も。その時は、俺も、やさぐれてたから、つい怒鳴っちゃって、片山さんに拳骨くらった」
「……いや、それは同情する。よく、それで堪えてくれたと思うよ」
「でも、それだけリカも後ろ向きな時期だったんだと思うよ。それから少しずつ変わって、ちゃんとわかってくれて、今じゃ空自にとってはすごくいい理解者だよ」
実際には空自だけでなく、自衛隊全体に対しての理解でもあったが、その変化は大祐の存在だけではない。
まっすぐリカの心に響いたのだ。
「それに、素直に言ってくれればいいけど、先に考えすぎちゃうよね。ガツガツで突っ込むくせに」
それはきっと大祐にしか見せない顔なのだろう。仕事場では、いまだに強気で突っ走りがちだが、その癖をなんとか自覚したのか、多少一呼吸置くようになっていた。
「へぇ……。まあ、それは空井君にしか見せないのかもしれないけど?それでもよくまあ……」
「そういうけどさ、俺も結構、面倒な男だと思うよ?」
それは確かに否定できないが、本人を前にそれを直接言うのに躊躇していると、相手はあっさりと言ってくる。
「藤枝さんだって、相当面倒くさいでしょ。自分は安全なところにいて、相手が踏み込んできてもするっと逃げそう。それに、面倒なこと言われたら嫌でしょ。ものすごく負けず嫌いのくせに」
思った以上に大祐が人のことを見ていることに目を見開いてしまう。グラスの中で氷をくるくると回しながらにやりと笑う。
その顔はリカを相手にしている時の、人のよさそうな顔ではなく、少し意地の悪そうな顔である。
「それに、自分が恰好悪いの嫌でしょ?」
「……空井君、結構人が悪いね」
「時と場合によるよ。しかも、藤枝さんは往生際が悪い」
「あのねぇ!」
ちりっとさすがに神経を逆なでする物言いに、藤枝はグラスを置いて空井の方へと向き直った。
平然として空井はグラスの酒をあっという間に飲みほしてしまう。
「いい加減、認めたらどうですか?藤枝さんは、純愛に向いてないとか言ってますけど、純愛とかそういうことじゃなくて、単に怖いだけなんじゃないですか。本当は誰より、愛情深いんだよ」
何度も口を開きかけるが、何を言い返していいのかわからなくて、結局黙ってしまう。
なんだかんだ言って、リカのおせっかいよりもこちらの方がキツイ。ちびちびと舌の上で転がすように酒を口にする。
―― なるほどねぇ。日頃ビールとかカクテルとか飲んでる俺と、こういう酒を水割りからロックで飲む空井君との違いか……
なんだかんだいっても、しっかり骨太な男である。半分ほど、黙ってそのグラスをあけてから、目の前のナッツの殻を割った。
「……空井君さ。ありえないって思わなかった?稲葉のこと」
ふっと笑った空井は、くるっと椅子を回して藤枝の方へと体の向きを変える。
カウンターに肘をついた空井は、藤枝の顔を見るとふうん、と呟いた。
「藤枝さんはありえないって思ったんだ?どういう人?リカは取材した相手みたいだけど、俺は知らないから聞かせてよ」
「な、いや、俺はね?ただ、空井君の話を」
「俺の話じゃないよね?」
とことんまで追い詰めていくのも身についた習性なのか、全く容赦がない。
深く息を吸い込んだ後、両手をカウンターについた藤枝は、がっくりと頭を落とした。
「……手加減しないねぇ」
渋々と呟いた藤枝は、頭を落としたままでカウンターの上のグラスを指先でなぞる。
「……日頃の守備範囲ってあるじゃん。俺はほとんど、年下か、いても、2,3コ年上」
「さっすが。俺なんか守備範囲なんて言えるほどありませんよ」
「空井君は稲葉が守備範囲って言っとけ。じゃなきゃ、どっかの整備士も入れていいぞ」
「……それは時効でお願いします」
ぼそぼそと続く男同士の飲みはきりがない。俯いていた藤枝も首が疲れたのか、今度は勢いよく頭を上げる。
「それに、俺が付き合う子は可愛いタイプの子が多いんだよね。しっかり者とか逆にこっちが……なぁ」
肩を竦めるだけで空井が受け流すと、それを共感と見たのか藤枝も軽く眉をあげた。
どちらかというと、自分が頼りにされたい方なので、自分よりもしっかりしている相手だと逆に落ち着かなくなるのだ。
「だから、初めに会った時も、何とも思ってなかったはずなんだ」
まるで自分に言い聞かせるようにそういうと、指先で滑らせていたグラスを掴んだ。
本当は初めに会った時に、どこというわけでなく、稲葉に似た人種だと思った。不器用なところが似てるなぁと思った。ただ、リカよりも大人な分、隠すのもうまくて、人との距離もほどほどに開いていて。
正直に言えば、面倒くさい人なんだろうなぁと思った。
「いや……。思ったか。面倒くさいなって」
「ひっでぇなぁ」
「空井君だってそうだろ?」
「まあ……、いやいやいや!リカのことを面倒くさいだなんて思ったりしてないよ!」
慌てて否定した大祐に、誰も言わないって、と肩を叩く。
「ま、そうだよなぁ。俺達には女ってのは面倒っつか……」
面倒だからこそ愛おしいと思う。
ふとその考えにたどり着いた藤枝は、思わず頭を抱えた。
「あ……ったた……」
空になったグラスを差し出して、おかわりを口にした大祐がくすりと笑った。飲みに誘って、一緒に飲むのはこれが初めてではないが、今日は初めから屈託を抱えているように見えた。リカが、事あるごとに話すからおおよその話は聞いていたが、所詮傍で見ているだけの話しをさらにまた聞きしているようなものだ。
話半分で聞いていたが、藤枝本人も否定してほしかったのか、後押ししてほしかったのか。
いずれにしても、誰かに屈託を聞いてほしかったのだろう。
「無理、することないと思うけど?」
ん?と視線を向けた藤枝に大祐は、口元を歪ませて言った。
「ずーっと前に、初めは俺が片山さんに言って、それ、自分に返されたんですけど。一緒にいたいと思える相手と一緒にいられる時間なんて限られてるって。変に格好つけて、我慢することないだろ。その相手の人が今フリーなのかどうかも俺は知らないけど、話してみれば?」
「話すって……。空井君、あのねぇ」
「話をして、それからどうするかは藤枝さんと相手の人次第でしょ?」
「……空井君ってさ」
深い、深いため息をついた藤枝が思わず漏らす。
「ほんっと、とことんまで追い詰めるよね?稲葉もメロメロだろうなぁ」
ごふっと、飲んでいた酒を喉に詰まらせた大祐に、今度は藤枝が笑った。