このお話は昨年夏のイベントでコピー本として出したものの再掲です。
「じゃあ、今週は我慢する」
「ごめんね」
「いや。次に会えるのが楽しみだってことにしよう」
会いたいから。
そんな理由で無理をして毎週のように時間を作っていたが、互いのリズムがわかってくれば、少しずつ抑えるところは抑えられるようになってくる。
大祐の方が車で東京に来るのが圧倒的に多かったが、夏に向けて仕事が入ることが増えてきたために、そのペースは少しずつ変わってきた。
リカも土日の休みは基本ではあったが、やはり編集が遅れたり、何かとばたつくのは番組改変の時期にあわせて仕方がない。帝都イブニングがメイン担当ではあっても、他にもミニ番組を受け持っているだけに、どうしようもない日もある。
先週に引き続いて、今週末も時間があわないために会うことを諦めることにしたのだ。
「ああ、そうだ。こういう時って、行ったつもり貯金とかいいんじゃない?」
「行ったつもり貯金?」
「そう。俺が行くはずだったら、その分のガス代と高速代とか、リカが来る番だったら、新幹線代とかざっくりで」
ふむ、と話を聞いていたリカもなるほどと思う。ただでさえ行き来に金がかかるならそうやってストックした中で次の往復のために回すのもいい。
「うん。それいいかも。そしたら、会えない時もそんなに落……えーと」
落ち込まなくて済む。
うっかりとそう言いかけて、ぎりぎりで止めたつもりだったが、電話の向こうでは小さく笑う声がした。こういう時だけは察しのいい夫に唇を噛み締める。
「落ち込むの?」
「落ち込むわけじゃないけど……」
「けど?」
なかなか本音を言わない妻から可愛らしい本音を聞き出そうとして、畳み掛けてしまう。会えなくて淋しいのは同じだと言わせたいのもあった。
「……残念だなぁって……、思うくらいいいじゃない」
「悪いなんて言ってないよ。俺も残念だなって思うから一緒なのかなと思っただけだよ。でも、謝らない事」
ごめん、ともう一度口から出そうになったリカの先手を打つ。自分の仕事の時もリカが謝ってくることが多いから、すぐにその先を封じるのだ。
お互い、仕事を辞めない限り、その仕事を疎かにしてまで互いの事情を優先していたら、どちらかがいつか、煮詰まってしまう。
「もう、ごめんを禁止にするよ?」
「ごめ……。う……」
まったく、と電話の向こうで大祐が呆れたため息をついている。普段からなかなか素直に言えないことが多いからこそ、素直に謝るくらいはしたいと思うのだ。
「じゃなくて。つもり貯金、しよう。どうやって貯めるの? 貯金箱でも買ってくるとか」
それじゃ出し入れしづらいか、とぶつぶつリカが呟いていると、思いがけないことを大祐が言いだした。
「貯金箱でもなんでもいいんだけど、それが貯まったら一緒に旅行に行くのはどうかな?」
「旅行? って大祐さん、旅行していいんですか?」
リカが少しばかり驚くと、できないわけじゃないよ、と耳に優しい声で笑う。
そもそも東京に行くのだって、旅行扱いだ。そのほかにも申請がいるとしたら、海外に行く場合になる。
「新婚旅行、してないでしょ? 式のお金も貯めなくちゃいけないし」
全く預貯金がないわけではなかったが、入籍を済ませてしまったので、年内に身近な人だけで披露の会ができればいいと思っていたリカは、そうだった、と思う。
結局、詳しくは聞いていなかったが、やはり峰永の時のようにきちんと披露宴をするべきなのだろうか。
「大祐さん。式ってやっぱり、ちゃんとしないと駄目なのかな」
「そう言えば、ちゃんと話してなかったね。今度会った時にそろそろ話さないとなって思ってたけど、やっぱり職場が職場だから一応ね」
―― そうか、やっぱりそういうものなのか
もともと、リカは結婚式に対して、強い願望など持っていなかった。ドレスを着てみたい、くらいのイメージでしかなく、職場柄も華やかな雑誌や特集には事欠かないが、その分苦労も多いと知っている。
リカの知人でも招待客でもめて、一生に一度が台無しになったカップルもいたくらいだ。それを考えたら、きちんとした披露宴など夢を思い描く方が無理というものだ。
「う、ん……」
「あ、でも、リカが嫌ならもちろん、考えるし。それに、こんな話、電話でするもんじゃないね。会った時に、ちゃんと話したい。一緒に……」
「……はい」
「じゃあ、明日も早いんでしょ。ゆっくり寝て」
ふとリカが気づいて時計を見ればもうずいぶん遅い。
なんだかんだと言いながらも、いつも話をしていると、遅くまで話し込んでしまって、それに気づくのも大祐の方だった。
「うん。わかりました。でも、きっと大祐さんの方が早起きだから」
「それって、起こしてって言ってる?」
くすくすと笑う声に、あ、と思ったが、ここは甘えてみることにした。そのくらいは許してくれることもわかっているからだ。
「……起こして」
気まずさと、甘えたい気持ちの両方が同時に口から出て、少しだけぶっきらぼうなひと言に電話の向こうがぴたりと黙り込んだ。
まるで言えと言わんばかりだったくせに、いざ口にしてみると、その反応はないだろう、とリカが焦る。
「あ、あの……」
どもりながらリカが、口を開いても、じっと無音になった携帯を、まさか切れたかとまじまじと眺めてしまう。
「……あのう、大祐さん?」
「……う」
「う?」
リカが電話口で戸惑っていると、同じく電話口で口を押えている男が一人。
―― 嘘だろ。冗談で言ってみたのに、こんな風に素直に言われるなんて……
リカが意地っ張りで、可愛らしいくせに、自分が可愛いことを認めたがらないのはよくわかっている。だとしても、これは不意打ちすぎる。
「……あんまり、可愛いこと言わないで」
「えぇ! 可愛いって私が?」
自分では、ぶっきらぼうでひどい我儘をぶつけたつもりだったのに、何を言うのかと驚いてしまう。だが、大祐は大祐で、動揺からなかなか立ち直れないらしい。
「いつもリカは申し訳なさそうにして、遠慮するじゃない。それが……。急にそんな風に無防備に言われると、なんか……」
「なんかって……」
「……毎日でも起こしたくなる」
それは駄目、と即答で返したリカは、私の立場がないじゃない、とむくれていたがそれさえ可愛いと思う。
「じゃあ、起こすから」
そういって、電話を置いた後も幸せな気分が残っている。それがまた幸せで、大祐は枕元に置いた二人の笑顔の写真に向かってお休み、と呟いて目を閉じた。