空のたまご 2

約束通り、大祐が家を出る少し前に携帯を鳴らした。

リカの出勤にしては早いと思う。テレビ局だけに、ほとんど二十四時間、動いているような職場だが、リカはどちらかというと朝は遅めである。
帝都イブニングをメインに担当しているからもあるが、ロケでもなければ、通常の出勤時間からは少しずれているのに、今朝は満員電車の時間に出勤だという。

なかなかコール音に出る気配がなくて、焦り始めたところで、ぷつっと音が途切れた。

「リカ?」

がさがさっと音がした後、ごとん、と音がする。どうやら携帯をベッドの下に落としたらしい。慌てて探しているらしい気配がしてから、勢いよく声がした。

「ごめん! ごめんなさい、落としちゃって」
「いいよ。わかってるから」

くくっと笑いをこらえて、家から出た大祐は鍵を閉めて階段を下りる。
車に向かいながら目が覚めた? と聞くと、うん、と声が返ってきた。

「はぁ、これ。やばいかも。かえって心臓に悪いね」
「そう?」
「うん。あ、大祐さん、もう出るんでしょ?」

行ってらっしゃい、と言われると、車に乗り込みながら口元が緩んできてしまう。

「うん。もう車に乗ったから。でも、いいね。リカに行ってらっしゃいって言われるの」
「そんなの、いくらでも言うわよ」
「ほんとに?」

嬉しいなぁ、と言いながらも出勤時間である。じゃあ、気を付けて行ってらっしゃい、と互いに言って、電話を切った。

「そっか、初めてだったかも」

大祐にいってらっしゃいを言ったのは初めてだったかなと今更ながらに気が付く。

「そっか」

もう一度呟いてから、自分でも頬が緩んできたのを感じてしまう。大祐もそうだといいな、と思いながら支度を始めた。

今忙しいのは、次の改編の後に、情報局で新しい番組を検討しているからだ。
リカが取材した空自の企画は、どれも評判がよかったし、大祐と再会したブルーの特番もなかなかいい視聴率をたたき出した。そこから、大人の遠足を企画したリカに、大人向きの企画をと言われている。

ベースはもうできていて、阿久津と共に、様々な職業や工場、現場に社会科見学にいくという企画にするつもりだった。

もちろん、その中では空自だけでなく、陸、海も取材してはどうかと言われている。制服に縛るつもりはないが、消防や海上保安庁なども取材対象に上がっていた。

これが採用になれば、リカは今持っている仕事のどれかを手放して、番組のチーフディレクターになる予定だ。

「よし。戦闘モード」

身支度を整えたリカが鏡の前でチェックすると、バックを手に家を出る。

リカにとっても、この企画に賭ける想いはいつも以上だった。
帝都イブニングは、リカにとっても大事な番組ではあったが、やはり毎日の事だけにロケや取材の数が半端ではない。だが、週に一回の番組となれば、一つ一つの取材にも丁寧に時間をかけられるし、サイクルが出来上がれば、不規則な生活から少しはましになる。

仕事をおろそかにするわけではなく、ステップアップしながら大祐と過ごす時間にも気を配れるならそれに越したことはなかった。

「おはようございます」
「稲葉さん、早いですね」
「うん、今日こそ企画書にオッケーもらって動き出したいしね」

番組が始まるまでには、何本かストックが出来ていないと駄目なので、もうすでに動き出さなければ後になってから首が締まってきてしまう。

席について、早速コーヒーを飲みながら企画書の仕上げにかかったリカは、情報フロアが動き出すころにはしっかりとまとめ上げて、数回分の企画案も作り上げていた。

「おはよう」

席はそのままに部長になった阿久津が現れると、印刷した企画書にクリップ止めして、立ち上がる。阿久津が上着を脱いで、席に腰を下ろすタイミングを計って、近づいた。

「おはようございます。例の企画書、できました」
「おう。……お前も、多少は空気を読むようになってきたな」

以前のリカなら、勢い込んだそのままに、席にも座っていない阿久津の元へ突進してきただろう。

否定はできないだけに、曖昧に肩を竦めたリカの目の前で阿久津は、企画書に目を通してくれた。
数回分の企画にも目を通した阿久津は、とんとん、と机の上で企画書をまとめて閉じ直すと、ぱさりとおいた。

「いいだろう。上には俺が通しておく。体制を組んで、すぐストック用の取材案をまとめろ」
「ありがとうございます!」

よし! と拳を握ったリカが笑顔を浮かべると、大きく頭を下げた。

番組がどこで放送されるか、時間帯などは全体での調整のために今はわからないが、確実に新番組が動き出すことになったのだ。

「お、おい! 稲葉」
「はい!」
「わかってると思うが、このご時世だからな。取材費もそんなに気前よくかけられないからそのあたりは……」
「わかってます。経費は少なく、番組は最大に面白く、ですよね」
「……わかってればいい」

頷いて席に戻るリカと阿久津の間では、スタッフィングもある程度は握ってあった。

カメラマンはやはり、スケジュールが許す限り、坂手に頼み、アシスタントには珠輝を付ける。
それは、街角グルメや明日きらりの相談にも乗れる上に、調整しやすいのもあった。
珠輝の腕は確実に上がりつつあって、一緒に仕事をするのもやりやすい。ナレーションだけは、アナウンス部に一任する形になっていたが、それでもいい仕事になるはずだ。

「珠輝! あれ、決まったから。珠輝、アシスタント、お願いね」
「えっ、大人の社会見学、決まったんですか?」

Vサインで応えたリカに、珠輝もやったぁ! とガッツポーズを見せた。実際に、珠輝も行ってみたい、見てみたい、という企画案だったらしく、リカのサポートにつくのは自分だけだと宣言していたくらいだ。

「早速、スケジュール組みましょう! 一回目は、やっぱり稲葉さん、手配されますよね?」
「わからないけど、まずは問い合わせからかな」

にこっと笑ったリカが取材先のリストを見せた。初回は、身近なところで駅の裏側にスポットを当てる。
ひとまず、鉄道各社に連絡を取るのが先だ。そのリストをもとに手分けして各社に連絡を取った。

投稿者 kogetsu

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