1時を回った時点でリカは、今夜は大祐から電話はないだろうなと思っていた。
この時間まで電話が来ないということは、きっと楽しく飲んでいるのだろう。そういう日もあるよねと、自分に言い聞かせたリカは少しの贅沢代わりに、部屋の中もバスルームも明るく電気をつけたまま、ローズのハスソルトをお風呂に落としてゆっくりと風呂に入った。
そのまま部屋の中も芳香浴のようなバラの香りに包まれて、一人ゆっくりと過ごす。
こんな時間、いつもなら大祐と電話をしているはずで、自由がさみしいと思うなんて考えたこともなかった。
昨日、無理をしてでも電話しておけばよかった。後になってからこそ思う。
昼間も眠かったのだから、こういう日は早く寝てしまおう。そう思ったリカは、大祐に短いメールを送ってベッドに入った。
『大祐さん。お言葉に甘えて、先に寝ちゃいます。楽しいお酒でしたか?二日酔いには気を付けて。おやすみなさい』
昨日に引き続き、メールもたった2往復だけという、たまたまにしては寂しい日になったのも、離れて暮らしていれば仕方がないことなのだと自分に言い聞かせる。
だからこそ、会える日は特別なご褒美のように大事にしよう。
自分用のベッドのはずなのに、なぜか広く感じるなかで、リカは目を閉じた。
そして、朝になって、いつもは大祐の方が朝が早くて、おはようのメールが入ることがいつものことなのに、その日はそれさえ入らなかった。昨夜のメールの返信もなくて、リカはよほど飲みすぎたんだろうな、と思った。
それならモーニングコールの代わりに起こしてあげないと遅刻でもしたら大変だ、と理由を自分にこじつけて大祐の携帯を鳴らす。
『おかけになった電話はただいま電波の届かないところにあるか、電源が入っておりません……』
「え……。あー。大祐さんもきっとやっちゃったのかな?」
酔っぱらって、そのまま眠ってしまって電源が切れる。スマホになってからは特に、バッテリーの消耗が激しいので、リカはすっかりその習慣で思い込んでしまった。ガラケーはもっと持ちがよかったことはとうに忘れている。
部屋に電話のない大祐に連絡が取れるのは、きっと昼以降だろう。
木曜日の始業の後、充電が終わるまではそっとしておこうと思ったリカは、自分の携帯だけはと充電しながら支度を済ませた。
その頃、大祐は起きてはいたが、ひどい二日酔いで、頭からシャワーを浴びていた。
熱めのシャワーがどんよりと鈍い頭を洗い流してくれる。
そのまま布団に向かって爆睡したい気持ちはやまやまだったが、部屋に籠った酒の匂いにも辟易した大祐は、シャワーを出ると窓を全開にした。
「うぉっ、寒っ!!」
あっという間に外気で温度の下がった部屋は寒かったが、覚醒するにはちょうどよかった。
そして、その間に、昨夜リカに電話したのに、繋がらなかった夢を思い出す。
「そうだ、リカに電話するって……っ!」
スウェットとフリースのトレーナー姿で、大祐は昨日、着ていた服のポケットを探した。
「……やば。ない!ない?ない!」
コートのポケットもパンツのポケットもシャツのポケットもどこにも携帯はなかった。部屋の中で振動する音もなくて、青くなった大祐は、早めに身支度を済ませると、多めに水を飲んでから戸締りをして部屋を出た。
携帯を落としたとすれば、飲みに出た後のことだからだ。
車を暖気している間に、駐車場や階段を探して歩く。記憶がないはずだと皆に思われていたが、薄らとは覚えている。酔っぱらって、まだ飲むと言い張る大祐を車に押し込んで帰ってきたことや、戸締りをしろと言われて部屋に放り込まれたことも覚えていた。
その証拠に、眠いながらも這って行って、玄関の戸締りだけはきちんとされていたからだ。
なのに、携帯はどうしても見つからなかった。
「……真剣にやばいかも」
青くなった大祐は、車の時計で時間を確かめると、急いで車を出して、昨夜向かった飲み屋に急いだ。運が良ければ周りにでも落ちているかもしれない。そうでなかったとしても、探す場所のエリアは絞られてくる。
自分の車で飲み屋まで向かった大祐は、駐車場に止めてから車を降りた。周りの雪は、雪かきをした際に山に積んだところが、溶け残っていて、ほかは溶けても時間がかかる。
いくら、基地にも近いからと言って、それほど時間的余裕はなくて、急いであたりを見て回る。当然、大祐には店を出たところから普通に車に乗り込むまでのルートを思い描いて、足元を見て歩くがそんなところには何も落ちていない。
記憶を掠める何かに眉を顰めた大祐は、朝になって車通りに激しくなった道路の方に向かって歩き出すと、雪が解けた後の半分凍った水たまりの中に異物を見つけて急いで駆け寄った。
「あっ!!あ~……。これは駄目かな」
泥水の中に半分浸かっている黒い携帯に思わず目を覆いたくなる。記憶はないが、きっと酔っぱらってこの辺を歩いたのだろう。
手を伸ばして、水たまりの中からすくいあげると、持ち上げてもまだしばらく中の方からぽたぽたと水が滲んでくる。車に戻りがてら、大きく右手を振り回すと携帯の中から水滴が飛び出してあちこちに飛んだ。
―― これじゃあ、リカに電話もメールもできないよ……
修理にせよ、買い替えにせよとにかく仕事が終わるまでは身動きができない。
そう思った大祐は、ひとまず車に戻って、基地に向かった。
時間ぎりぎりになった大祐はとにかく、一度、自席についてからタオルハンカチを広げて、小さいドライバーを使うと、携帯を可能な限りばらした。
「おはようございます。空井一尉、何やってるんですか?」
「おはようございます。昨日、実はみんなで飲みに行ったんですけど、その間に携帯、落っことしちゃったみたいで……」
そう言いながらバッテリーを外し、基盤だけになる寸前で手を止めると、本体を持ってそうっと手洗いに向かう。真水できれいに洗い流した後、水滴を振り払ってから席に戻る。
どこからか、借りてきたドライヤーで携帯のパーツを丁寧に乾かした。
運が良ければこれで復活するはずだった。だが、液晶にも水が入ったのか、携帯は復活することはなくて、うんともすんとも言わないのはかえって中途半端に復活するよりはよほどよかった。
大事なデータはメモリカードの方に入っている。それを思い出した大祐は、メモリカードを取り返すと、一度ドライヤーを止めて自分のPCに向かう。
カードリーダにメモリーカードをさしてみた。
「うわ、こっちもダメか……」
「なんだ、空井。携帯おしゃかにしたのか?」
「おしゃかってなんですか。最近、そういう言い方あんまり聞きませんよ?」
周りに集まってきた隊員たちの気配を感じながらも、ひとまず携帯を元に戻すことにした。ネジを止めてバッテリーを装着する。
リカの連絡先はPCにも入っているからいいとして、帰りに新しい携帯へ買い替えなければならない。
ひとまず、携帯の方は諦めて、リカ宛にメールを打ち始めた。
『会社のアドレスでごめんなさい。それから昨夜は電話が出来なくてごめんなさい。実は携帯を昨日落としてしまって壊れちゃいました。今日、仕事が終わったら新しいのを探しに行ってきます。それまで、電話もメールもできなくてごめんなさい』
何してるんですか。
ぷうっと頬を膨らませて怒っているリカの顔が目に浮かぶ。
後で絶対に、言われるだろうなと思いながら、珍しくブラックのコーヒーを飲んだ。