前島に言われて、仕事が終わった後、一度官舎に帰った大祐は、もう一度車を出して近くのスーパーや電気屋が集まっている場所に出かけた。リカが来た時にもよく、買い物に出る場所で、大抵の物が揃うから皆、便利でよく使っている。
待ち合わせをどこかと言われて、話が終わったらすぐに買い物に行けるように指定したのだ。安いイタリアンのファミレスに入った大祐が奥の方の席にいた前島を見つけた。
「空井!」
片手をあげた前島の前に腰を下ろした大祐は、ここはお前のおごりな、と軽く言った。時間も時間だけに、あとで夕食を撮るのも面倒だからと笑った大祐に、前島は仕方がないと頷いた。
「で?なんだよ」
「悪い!ほんと悪いと思ってるんだ」
先に謝っておく、と両手を合わせた前島に怪訝な顔をしながらメニューを開く。前島は気のいい男ではあったが、あまり物事を深く考えるようなタイプではなかった。
「あのさ。飲み会で大澤由香がやめるらしいって言っただろ?」
「ああ。言ったなぁ。忘れろとも言ったけど?」
それがどうかしたのか?と思いながら、テーブルに置かれたベルを押して注文をする。パスタとピザと、フォカッチオを頼んで、ドリンクを取りに立つ。
妙に言いづらそうにしている前島は、コーヒーだけをおかわりして席に戻った。
「んで?」
「だからさ。俺、実は本人から聞いたんだよ。その話」
「へぇ……」
二人の間にどういう話があろうと、大祐にはあまり関係がない。そんなつもりで聞いていたところが、前島は大祐の腕をがしっと掴んだ。
「お前を男と見込んで頼みがある」
「なんだよ……。気持ち悪いな」
「だから、大澤由香と付き合ってやってくんない?」
ごふっと吹き出しそうになって、思い切りむせた大祐は、気管だけでなく鼻の奥まで痛くなってきて、涙が滲んでしまった。大祐が結婚してから、どれだけリカを大事にしているかは基地の中で知らないものはいないはずなのだ。
「おまっ……、何言ってんの?俺、結婚してるし、付き合うって意味わかんないよ」
ありえないと言って、悪い冗談だと思った大祐に前島は情けない顔をして首を振った。
「わかってる。全部わかってる。お前が言いそうなのは。そこを何とか!頼むよ~」
テーブルに額をこすり付けるようにして頭を下げた前島に、飲みかけたアイスコーヒーを横に置いて大祐は眉間に皺を寄せた。
「ちょっと待てよ。お前、自分が何言ってるかわかってんの?」
「わかってるから頼んでるんだろ~。俺だって悪いと思ってんだよ」
ちっと舌打ちをした大祐は、前に身を乗り出して前島の襟元を掴んだ。
「お前、何やったんだよ?全部吐け」
すまん~、と大祐を拝んだ前島がしょぼくれた顔で声を潜めるとぼそぼそと話し始めた。
アイドルのようだと大祐が思ったように、大澤由香はそういう女性だと前島も思っていた。
可愛くて、気立てがよくて。
しかも、飲み会で運転手になった青山と付き合っているんじゃないかと言う話もあった。だから、たまの休みで、石巻の駅前で偶然会った時には可愛い女子と偶然会えてラッキー程度に思っていたのだ。
「おう、由香ちゃん」
「こんにちは。前島さん、一人なんですか?」
「そっ。由香ちゃんも一人ならお茶とかカラオケとかどう?」
「いいですよー。行きましょう」
明るく応じた由香と共に、カラオケに移動した前島は、その時も深い考えがあったわけではない。ただ、職場で可愛い女の子と一緒にちょっと楽しい時間を過ごせればいい。その程度だった。
「前島さん、顔広いですよねー。結構、男性陣、皆飲みに行ってるみたいですけど、いつも前島さん仕切ってるんでしょう?」
「あー、まあね?仕切るっていうほどでもないけど、ついつい独身男が揃ってるじゃん?暇だし飲みに行くか、みたいなさ」
「えー。独身の皆さんだけじゃないじゃないですか。いいなぁ」
交互に歌を入れながら、合間に話をする。確かに基地の中ではちょくちょく話をする方だったが、こうして二人きりで話をしたのは初めてで、にこにこと可愛く笑う由香に前島も悪い気はしない。
「由香ちゃんも呼んだらくる?」
「行きますよぅ。だって、仲間に入れて欲しいじゃないですか」
膝の上に歌本を置いた由香が、片手をついて前島のすぐそばにぐっと近づく。
「前島さん、歌うまいからモテますよね」
さりげなく、由香の手が前島の手に触れていて、おや、と思う。
「そんなことないけど……。由香ちゃんこそ、青山と付き合ってるんじゃないの?」
回りくどい問いかけなど前島には一切ない。まさに、脳みそが体育会系の前島に、由香はけらけらと明るく笑った。
「青山さん、真面目だけど若くてちょっと重いかなー」
するっと腕を絡めた由香は、自覚があるのかわざと胸を前島の腕に押し付けるようにして見上げてくる。
「えーと、由香ちゃん。まさかと思うけど、誘ってる?」
「うふ。ちょっとね。私、もう来月でやめるからもういいかなって」
胸元も見え隠れする服で体を寄せてきて、狭いカラオケの中、あからさまにこれだけ迫られれば男として悪い気はしない。まさかと思いながらも今ならいけるかなと思うのは男の単純なところと言えば可愛らしいが、単にその気になった、と言うのが近い。
背もたれに腕をおいて、ぐっと迫っても、逃げることなく由香は前島のキスを受けた。
「おまっ!!それで手だしたのかよ?!」
呆れた顔で、パスタを平らげた大祐が白々とした視線を向けた。独身のしかも体力自慢の男が多ければその手の話が多いのは仕方がないが、隊の中でというのはだいぶいただけない。しかも真剣な関係ならまだしも前島がそこまで考えていないのは一目瞭然だ。
「……まあ、そのままちょっと盛り上がっちゃって?カラオケでってのはさすがにまずいからそこまでだけどさ」
「そこまでって、それでも十分駄目だろ……」
面目ない、と頭を掻いた前島に馬鹿、と言いながらその先を促す。今の段階では聞いているだけで、叱りつけてやりたくなるが、ひとまず食べながら話を最後まで聞くつもりだった。
「だってさぁ……。そりゃ、俺だって誘われたらさぁ……」
「うるさい。いいからさっさと先を言えよ」
「あー……。うん。それでさ。要するに、大澤由香ってそういう奴だったわけよ。なんつーの、肉食女子?そいで、本命はお前なんだって」
ごふっ。
本日二度目の咳き込みは食事をしていたからさすがに辛い。ピザを丸めて食べていたところに、喉に詰まった大祐がしばらく咳き込んだ後、全く意味が通じないとばかりに前島を睨みつけた。