眠り姫の憂鬱 14

翌日、出勤した大祐は、由香が思いのほか本気らしいのだと知った。

朝、机の上に、昨日のお詫びです、と書かれたカップのコーヒーが置かれていて、最近コンビニで流行りのドリップコーヒーがまだ温かいままでそこにあった。

拒否して飲まないでいても構わない程度のもの。
だが、缶コーヒーではない分、誰かに飲むならと渡しづらい。

付箋には携帯の電話番号とメルアドもかかれていたが、ぴっと外した大祐は、くしゃくしゃに握りしめてゴミ箱に放り込んだ。
昨夜はあまりに腹が立ったから、そのままの勢いでリカに連絡してしまうと、八つ当たりでもしかねない自分が嫌で、さっさと寝てしまった。その分も今日は早く帰って今日こそ、携帯を買いに行こうと思っている。

―― 早くリカと話したいな

他愛のない話でいい。落ち着いたらこんなことがあったんだと話すつもりで、とにかく今は不愉快なものから目を逸らしたかった。

そう思っていた大祐は、自分のペースをことごとく崩されることでますます苛立つことになる。
関わらない、と思っていたのに、昼を食べていれば堂々と近づいてきて、大祐のことが好きなのだと周りにも口にされては、初めのうち、モテる男は違うねぇとからかわれていても、徐々に皆の目が不振に思い始めてしまう。

昼を食べ終えた大祐がさっさと席を立つと、それを追いかけてきた由香が声をかけた。

「空井一尉。今夜、夕ご飯とかどうですか?」
「あのなぁ。昨夜も言ったけど、俺は仕事以外で関わるつもりはないよ」
「残念。でも、私も諦めませんから、やめる日まではこうやって空井一尉に付きまといますよ。それが嫌だったらさっさと私に付き合った方がいいと思います」

まるで、大祐の迷惑などどうでもいいと言わんばかりの口調に、口を開きかけた大祐は、食堂からざわざわと出てくる隊員たちの気配を察して、眉間に皺を寄せると何も言わずにその場を離れた。

「空井、モテてんなぁ。嫁さん、泣くぞ?」

渉外室に戻った大祐に早耳の隊員が、からかってきた。どんな組織でもあり得るが、やっかみが絡めばますます、噂話など伝わるのが早い。
仕方がないし、避けきれなかった自分にも非があると思った大祐は、一応、取り繕いはしたが、不機嫌なことは隠し切れなかった。

「そういうことじゃないです……」

ぼそりと言い返した大祐に、からかった隊員と隣の席の者が顔を見合わせた。リカのことでからかった時は、明るく、ウィットにとんだ切り返しさえするようになってきた大祐が、明らかにむっとしているので、それ以上、絡むのも気が引けて話はそれで終いになる。

これは余計なクチバシを挟まない方がいいと、誰もが思いはしたが、だからと言って噂が広まらないというわけではない。
夕方になる頃には、ひそやかに興味を持つ人々の間には広まりだしていた。

時間になって、席を立ちあがった大祐は、さっさと引き上げようと車に戻ってエンジンをかけた。
携帯がないと、やはり不便だなと思う。

仕事が終わって帰るときは、いつもリカにメールをしていたのにそれができないのが淋しい。火曜日から直接話ができていないから余計に不安にさせているんじゃないかと思ってしまう。

―― 家に帰ってPCを繋いで……

場合によっては、明日東京に行ってもいいかなとも思う。東京で一緒に携帯を買いに行ってもいいかな、と思っていたところに、こんこん、と窓を叩かれた。

「空井一尉」

由香が運転席の傍に立って、覗き込んでいた。
軽く舌打ちしたい気分で、パワーウィンドウを少しだけ開ける。

「何」
「冷たいなあ。今日、夕ご飯どうですか?」
「行かないって言ったけど。俺、用あるし」

パワーウィンドウを閉めようとした隙間に、ぱっと由香が手を差し込んだ。
反射的に閉めかけたウィンドウを全開にした大祐は、ついつい声を荒げてしまう。

「何やってるんだ!」
「だって、こうでもしないと空井一尉、窓閉めて帰っちゃうじゃないですか」
「だからって、ほんとに俺が止めなかったら指無くなるぞ!」

今、大祐だから止まったものの、もし、余所を向いていたり、反応が遅れていたら、本気で指を挟んでいたところだ。
怒鳴りながらも、手段を選ばない危うさがどこか不安定で大祐は、このままただ突き放していてもキリがないかもしれないとどこかで思い始めていた。やると言ったら、下手をすればどんなことでもやってしまいそうな危うさがそこにはある。

不機嫌さはどうしようもなかったが、根本的に男として女性を完全に突き放せるほど冷たくはできなくて、由香から視線を逸らした。

「……いったい、大澤は何がしたいの」
「空井一尉に付き合ってほしいだけです。本当に好きなんで」
「付き合うって何?」

斜め掛けにバックを背負った由香は、自分の頬に片手を当てて小首を傾げた。

「そんなぁ。ここで女の私から言う事じゃないですよぅ」

基地内の駐車場であることもわざと選んでやっているとしか思えない。大祐はステアリングのてっぺんを両手で掴んだ。

このやけくそにも近い捨て身な態度と、なぜ急にこんな行動をとり始めたのか。
今まで折に触れて一緒に仕事をしてきた由香と今、めちゃくちゃな行動をしている由香が全くリンクしなくて、ため息をついた大祐は、一呼吸おいてから顔を上げた。

「正直、俺はそういう意図があるんだったら、関わり合いになりたくないと思ってるけど、そういっても付きまとうんだろ?」
「はい」
「……6時半に、昨日、前島といたファミレス」

一度は手を離していた由香が全開になったウィンドウに手をついた。

「いいんですか?」
「迎えにもいかないし、送りもしないから」
「全然OKです。0630、ファミレス。了解です」
「……離れて。危ないから」

今度は素直に車から由香が離れたのを確認して、ゆっくりとアクセルを踏んだ。
オートマの惰性に少しだけ踏んだアクセルで、停車位置から移動すると、同じ場所に立ったままの由香と離れたことをドアミラー越しに確認する。ようやく、スピードを上げて普通に走り出した大祐は、ゲートを抜けて官舎に向かった。

運転していても、深いため息が出る。
急に舞い込んだ話は、初め、悪い冗談かと思った。前島が深く考えない男だというのはよく知っている。悪気はなくても、不用意な頼みごとを引き受けたことも仕方がないなとは思う。だが、一番わからないのは大澤由香だった。

駐車場に車を止めて、バックを持って部屋に上がる。着替えを済ませて、一応、駄目かと思いながら携帯をポケットに入れた。

まだ時間には余裕があるから、疲れたな、とソファに腰を下ろした大祐は、頭の後ろで手を組んで天井を見上げる。

大祐が今まで知っている、由香は、いつも明るい応対で、問い合わせや依頼に応じてくれて、時には渉外室の無茶な依頼をどうすればクリアできるのか、考えながら協力してくれた。
そういう女性だったから、仕事がしやすい相手だったのだ。

合間に世間話をすることもあったが、せいぜい天気の話、地元の優勝した野球チームの話、オリンピックの話など、広く一般的なものだけで、お互い何かに深く立ち入った話をすることもない。

そんな間柄で、こんな風に恋愛感情を持たれるほど、関わる時間があっただろうか。
少なくとも、大祐とリカの間には、長期取材という時間と、取材者と取材されるものの関係があって、一緒に過ごす時間も長かったから、その人となりに触れて、その想いを垣間見ることがあって、だから惹かれた。

由香との間にそんな時間は、記憶にある限りない。だからこそ、大祐を好きだという由香の言葉が信じられなかった。

それを聞くために、気は進まなかったが夕飯の誘いに頷いたのだ。

「……これじゃ、また今日もリカに連絡できないかも……」

不愉快な気分を引きずったままでリカと話したくない。
男の勝手な見栄なのはわかっていたが、職場のごたごたを見せたくないというのは男ならよくある。ましてそれが、こんな話ならなおさらだ。
心配してるんじゃないかと、頭の片隅をよぎったが、胸の内でごめん、と詫びた大祐は、時計を見て車のキーを掴むと、部屋を出た。

投稿者 kogetsu

「眠り姫の憂鬱 14」に2件のコメントがあります
  1. いつも楽しみに読ませていただいています。この作品、やっぱりどきどきしながら読んでいます。ストーリーの流れを覚えているのに、そわそわ・・・次を待ち遠しく・・・・。狐さんの文章力で脳内で映像が再現されています。

    1. さあら様
      ありがとうございます。何度か出そうかと思いながらなかなか出せなかったんですが。
      やっともう一度日の目を見られてよかったです。支部の時は1日かける分でアップしていましたが、こちらでは1話分のボリュームを揃えているので話数がだいぶ伸びてます。もうしばらくお待ちくださいませ。

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