眠り姫の憂鬱 16

リカに、こんな話をしたら怒るかもしれないし、大祐さんは、女心がわかってないです、と言われるかもしれない。
それでもいいから、リカに会いたかった。

―― リカ。情けないけど、やっぱり俺にはこういう話はひどく苦手で、何もできなくて、それでやっぱり……落ち込んでるみたいなんだ

電話でもなく、メールでもなく。今、すぐに抱きしめたくて。
ひどく疲れ切った気分で、携帯を諦めた大祐は車に戻った。会いたくて、仕方がないなら今からでもリカのもとに行けばいいと、わかってはいたが、この気分をどういえばいいのだろう。

どうしようもなく、くたくたになった気がして。

官舎に戻った大祐は、PCの前で、じっと眺めたままぼんやりとしていた。電源を入れて、ノートPCを開けば繋がるはずの人。

「リカ……」

冷蔵庫にあった缶ビールをあけて、大祐はそのまま横になった。

翌日、疲労感を引きずって目を覚ました大祐は、東京に向かうために支度をしようと、気だるさをおして起き上がった。
500mlとはいえ、缶ビール1本でこんなに引きずるとは思っていなかったから、まずは熱いシャワーを浴びて、すっきりしてからにしようとバスルームに向かう。
シャワーを先に出して、温まるのを待っている間に、服を脱いで、頭から湯を被った。

少し伸びてきた髪を何度もかきあげてシャンプーをして風呂場のドアを開くと、部屋の温度との差にひやりとする。
バスタオルで髪の毛を無造作に拭った後、体を拭いて、さっさと着替えた。

何かを飲み食いする気分じゃなくて、水道の水をがぶ飲みする。

首を回すと、ごきっとすごい音がして、ふう、と息を吐いた大祐は、部屋の時計を見て、苦い顔になる。こんな時間では、東京に向かっても到着するのが午後になってしまう。それでも行くつもりで出発時間を頭の中で考えていると、こんこん、と玄関を叩く音がした。

こんな時間に空井の部屋に来るはずの人など思い当たらない。何かの連絡か、セールスかと鍵を開けた大祐は、ドアの傍に立っている由香を見た。

「……なにやってるの」

壁に寄りかかる様に立っている由香が、にこっと笑いながら部屋の奥の方へ覗き込むようにして立っていた。昨日、話をつけたつもりの由香がこんな時間から来たことに呆れて反応が遅れる。
眠気を引きずった大祐の、滅多に見ない私服と濡れた髪に由香の視線が彷徨った。

「おはようございます」

表の眩しい陽射しに目を細めた大祐は、由香の服が昨夜別れた時と同じ服装なことに気づいた。
その視線に由香の方も気づいてえへへ、と笑う。

「部屋には一瞬、帰りましたよ?でも、この辺にいる分には外泊でもなんでもないんで」
「……あのさ。どういう仕事でも女性に変わりはないし、ましてこんな冬場に夜中ほっつき歩いてるなんて駄目だろ」
「いいじゃないですか。別に悪いことしてるわけじゃないし、空井一尉のお部屋の前に来たのは、朝方なんで、全然問題ないです」

真っ白い顔の由香を見て大祐は、さすがにそのまま玄関を閉めることはできなかった。

「朝方って何時からいたの」
「んー、何時でしょう。空井一尉がシャワーかな?使ったから給湯機の音がしたんで、起きたんだってわかったからノックしました」

ポケットに入れたままの手を見るまでもなく、冷え切っているのは見ればすぐにわかる。
部屋へ帰れと言ってもそのまま帰るわけがないだろう。大祐は玄関の扉に寄り掛かって、大きく玄関を開けた。

「それで?今度は朝飯でもって言いたいの?」
「ビンゴです!昨日は、夕飯じゃなかったので」

冷え切って、真っ白になった顔でそれでも作り物みたいな笑顔を向ける。
むなしいことは、きっと由香自身もわかっていて、それでもそうせずにはいれなくて。

大祐がもし、リカに対して、踏み出した一歩は、リカも想ってくれていたからこそ、二人の思い出になったが、それもまた、同じだったはずだ。

―― 俺に、大澤を責めるのはできないかもしれない

大人だからこそ、無茶なことをしているとわかっていてもせずにはいられない切なさがある。
そう思った瞬間、大祐は、玄関の中に一歩、入りながらドアを手で支えた。

「支度するから、玄関で待ってて」
「いいんですか?」
「部屋に入れないけど、玄関だけでも少しは温かいだろ」

一歩も動くなよ、と釘を刺したうえで、玄関のたたきに入った由香を待たせたまま、大祐は部屋に戻った。これで、今週、東京に行くことはできなくなったが、いなくなるまでの間、という期限が切られていたからこそ、大祐もどこかで拒絶しきれないでいる。

甘いのかもしれない。

でも、由香を受け入れる気持ちは、ほんの少しもなくて、単なる憐憫でしかない。それでも、少なくとも気持ちに応えられない分、きちんと聞いてやって、それで気が済むならと思わなくもなかった。

服は着替えていたが、まだ濡れた髪のまま、ジャケットを羽織って、財布と車の鍵を持つ。
ポケットに入れたままの携帯はそのままに、玄関に向かった。

素直に、壁に寄り掛かって、部屋の中を覗き込まないように待っていた由香は、戻ってきた大祐に、大丈夫ですか、と少しだけ大祐を見上げる。
ポケットに入れたままだった片手を伸ばして、大祐の髪に触れた。

「髪、乾かしてきた方が」
「いいよ。大丈夫だから。それよりも、温かいものとらないと」

言葉少なに言われたことが、自分のことだとは思わなくて、はぁ、と呟いてから、あれっと由香は、目の前をぎりぎりで由香に触れずに玄関を開けた大祐の横顔をもう一度見た。

「自分ですか?」
「当たり前だろ」

ぎい、と大きく開いた玄関のドアに、再び目を細めた大祐は由香が出てくるのを待ってから鍵を閉めた。
大祐の後に続いて、由香も狭い廊下を抜けてコンクリの階段を下りる。

「本当は出かけるはずだったんだけど、もういい」
「あ、奥さんのところですか?」
「そう」

ダウンのポケットに手を入れた大祐の足元は、スニーカーだから、足音があまり響かない。代わりに、由香の履いているブーツの音が階段に響いた。

投稿者 kogetsu

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