眠り姫の憂鬱 24

「大澤もだいぶ煮詰まってたようだったからな。お前は優しい奴だから放ってけなかったんだろ。まあ、男が女の子に優しくできなかったら終わりだけどな」
「自分……、なんていうか、もっと、もっと何か……」
「正解なんかねぇよ。大澤もわかっててやったんだろ。これであいつはもう後、最後までここに来ないままになるしな」

どういうことかと問い返した大祐に、島崎は残りの日数を数えて見せた。

「謹慎で今週一杯来ないってことは、あとは、有休消化でずっと休みだ。私物も整理して帰ったらしいから本当に、覚悟してたんだろ。こういう処分を受けることも」
「なんで……」
「俺にもわからん。だが……、お前に忘れないでいて欲しかったんだろ?そのくらいの想像ならできるさ。そんなことをして大澤がこれから、どうやって歩いていく気なのかはわからん。それはあいつの人生だからな。自分で自分の退路を断ちたかったんじゃないか。お前もいつまでも引きずるな。他人の人生よりお前の方はどうなんだ?」

しょうがない奴だ、と腰に手を当てた姿勢から腕を組んだ島崎が大祐の方へと向き直る。

どうすればいいですか。

聞いてほしくて、聞きたくて仕方がなかったことが口からあふれ出す。

「電話で大澤のことを話しても、ちゃんと伝わらない気がして、俺はちゃんと伝えたかったんですよ。何とも思ってもいないし、リカのことしか大切じゃないし、タイミングが悪くて、それが重なって、なかなか連絡できない日が続いたけど、でもそんなことで喧嘩になるなんておかしいんですよ」

くしゃっと顔を歪めた島崎は喧嘩したのか、と首を傾けた。苦しげに歪んだ顔をみて、島崎はその肩にぽん、と手を置く。

「俺達、男には女が考えることなんかわからん。だけどな。空井。覚えてるか?俺はお前が結婚した時に言っただろ?いいのか、って。嫁さん、東京に置きっぱなしでって」

まだ正確に言えば、1年にもなっていないのに、ひどく遠い昔のような気がする。ふざけた後の他愛のない会話だったが、薄ら記憶に残っていた。

「俺達は、転勤も多いから単身赴任も多い。だからいろんな奴を見てきたんだよ。単身赴任するにしても、夫婦の形ってものが色々あって、お前はその形を作ってからの方がいいのかもしれないと思ってたんだよ。離れ離れのままで結婚したから、いつかこういう時が来るんじゃないかってな」
「島崎三佐……」
「ほんっとしょうがない奴だな。まあ、お前も、もうちょっと悩め。いつでも話、聞いてやるぞ」

ぎこちなく顎を引いて軽く頭を下げた大祐は、重い足を引きずってゆるゆると自分の席に戻る。
頭を切り替えて残りの仕事を片付けると、帰ろうと思って立ち上がった。

そこに、電話が鳴った。

「はい。広報班です」
『お。その声は空井?俺』
「は?」
『お前の、元上司で詐欺師の鷺坂です』

あっと机に手をついていた大祐の背筋が自然と伸びる。お久しぶりです、と口にすると、ふふっと電話の向こうで鷺坂が笑った。

『お前、わかりやすいなぁ。空井。お前、今、まいったなぁって思っただろ』
「あ……、いえ」
『いいのいいの。お前、もう終わりだろ?表で待ってるから。それから、ちょっと山本君にかわって?』
「はい」

内線を押して、山本の電話に繋ぐと受話器を取り上げた山本が苦笑いを浮かべた。受話器を押さえて、空井には帰っていいぞ、と手振りで示しておいて、何やら話し込んでいる。
頷いた空井は、渉外室を出て車に向かった。表で待っているという言葉を怪訝に思いながら、ゆっくりと車を回すと、ゲートの前で電話をしていた鷺坂が、手を振った。

笑顔で電話を切った鷺坂が、ゲートをくぐって、車を停めた大祐の傍に寄ってくる。

「よ。お久しぶり」
「いらしてたんですか?」
「ん。お前この後ちょっと付き合いなさいよ」

いい?とドアに手をかけた鷺坂を車に乗せて、ゲートの目の前に停まっていた車が走り出す。どうしたんですか、と話を振ることもなく、田圃の間の何もない道を走っていくと、助手席に収まった鷺坂が、そこを右、左、とナビを始めた。

「すっごくおいしいおばちゃんの店があんの。定食は決まってるんだけど、今日のおすすめはこれ、とかいって勧めてくれるんだよね」
「はぁ……」
「そんな景気の悪い顔しなさんな」

鷺坂の指示で向かった定食屋の、すぐそばに車を停めて、鷺坂と大祐は店に向かった。どこでも相変わらず、あら、鷺ちゃんよく来たねと言われながらテーブルに座る。その向かいに、大祐が腰を下ろすと二人の間にエプロン姿のおばちゃんが近づいた。

「鷺ちゃん、車?お酒じゃない方がいいの?」
「そ。お茶くれる?」
「はいよー」

すぐにおばちゃんが大振りの湯飲みを二つ、お茶を持ってきてくれた。
両手で湯飲みを包み込んだ鷺坂は単刀直入に話を切り出す。

「空井。話は聞いたよ。お疲れさん」
「室長……」
「お前さんにも色々と言いたいことがあるんじゃないかなと思ってね。言ってごらん。聞いてあげるから」

島崎につい零してしまったが、言いたいことがあったら言えと言われると何から話していいかわからなくなる。
首を振った大祐に、鷺坂が笑った。
馬鹿だなぁと言われても、もう何もかもが面倒だと言いそうになる。

「お前は、女の子にモテた自覚がないんだろ?だからわかんないんだよなぁ」
「実際、モテたことなんかありませんから」
「モテただろ?今回」

からかいを含んだ鷺坂の言葉が妙に苛立つ。
自分が何をしたわけではない。

「まあ、女性の感じることは男にはわからないけどね。……稲ぴょん、お前が、浮気してるんじゃないかって泣いてるんだって」

がん、と椅子を倒して立ち上がった大祐に、店のおばちゃんたちも驚いた顔を向けた。

「座りなさい。空井」
「なんで……。なんで、そんな……」
「とにかく座りなさい。今から東京に行こうと思ってるなら、許さないよ」

―― どうしてそんな誤解をしてるんだ……

ただでさえ、あえない時間が長くて、もう擦り切れそうになっていた大祐は、すぐにでもリカに会いたかった。

「落ち着きなさいよ。今お前が行ったってお互いに冷静に話なんかできないだろ?お前は、自分自身に起きてることが納得いかなくて苛立ってるだろうし、稲ぴょんも素直にお前の話を聞けるような状態じゃないだろうし。お互い感情的にぶつけ合っても解決なんかしないよ?」
「……リカには笑っててほしいんです。俺のために嫌な思いさせたり、泣かせたりしたいわけじゃないのに……。大体なんでそんな誤解することに……」

あらあら、と店のおばちゃんが倒れた椅子を戻して、空井の傍に近づいた。

「どうしたの?大丈夫?そんな顔してたら駄目だよ。ほら、座って、今ご飯持ってくるから。男なんだから腹いっぱい食べて、なんでもそれから。ちゃんと力をためて動かないとね」
「おばちゃんの言うとおり。空井、座りなさい」

ぐっと走り出したい気持ちを堪えて、ぎこちなく大祐は腰を下ろす。おばちゃんは錆びついたロボットのような姿の大祐の肩を叩いて戻っていく。

「空井。もう一度言うよ。稲ぴょんに会いに行くのは週末まで待ちなさい。今は、とにかく座って食べること」
「はい。はいはい、おまちどおさま。鷺ちゃんもこっちの若いお兄さんも、しっかり食べて、元気出して。ね!」

目の前に運ばれてきた、白いご飯と、味噌汁と。
箸を手にした鷺坂に促されて、大祐は箸を手にした。熱い味噌汁が、喉にを流れた。

投稿者 kogetsu

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