眠り姫の憂鬱 27 幕間 曇天の中の光・前編

「稲葉さん!すみません、ちょっと!」

珠輝の仕事はディレクターに上がった今も、AD時代からやっている仕事も含まれている。
その一つが、番組のサイトに来る問い合わせや感想、そういうものをチェックして番組に反映させることだった。

もちろん、それは常にレポートにしてまとめられていて、問題がある場合は、チーフになったリカや阿久津に報告が上がる。

珠輝に呼ばれたリカが、珠輝の隣に立って、チェックしていた画面を確認した。

それは昨日放送した制服シリーズの特集コーナーで3月まで連続企画だった。

「ひどいです。こんなの……」

少しずつ増えてきた現実の反応。これまでADだった時には、自分が関わっている番組だという感覚が遠かったから、他人事のように対応してこれた。でも、ディレクターになって、自分の企画、自分が関わった仕事、という意識が強くなるにつれて、こうした感想に強く一喜一憂するようになっている。

悔しさが滲む珠輝の声を聞きながら、リカは何通か着ていた同様の感想に目を通した。

今回の企画は、制服シリーズの中でも時期的なものをあわせて、制服を脱ぐ人たちに焦点を当てていた。そのため、今回は自衛隊だけでなく、鉄道、警察、消防、それに、デパートなど、制服を着る職業の中で、制服を脱いでやめていく者たちにスポットを当てていた。

「……わかった。それ、MLにも転送して。あと、来週の放送以降の放送予定の中から、取材させていただいた方にもう一度確認をとろう。それでもし、嫌だと思う人がいたら、その人の部分はカットして編集し直し。時間ないよ。今日中に確認するからね」
「え、でも!皆さん、取材のときはそんなこと言ってなかったし、これから取材する人たちだっています!」
「これから取材する人たちにももう一度確認する!ほら、すぐに動く」

少し、強い口調で珠輝に指示を出す。“”指示と言う形があると、どうであれ深く考えずに動くことができる。
その方が、今は珠輝にとっても気が楽だろう。リーダーになって少し変わった

ひとまず、情報局の中の、番組関係者あてのMLに珠輝が転送したのを確認してから、自席に戻った。受け取ったうえで、もう一度見直す。

ある程度は想像できた反応ではあったが、少し強いものが混じっている。
番組に来る分にはいくらでも対処ができるが、取材させてくれた本人に矛先が向くのは避けなければならない。

特に、テイストの強いものをプリントすると、リカは阿久津のもとへ向かった。

ノックとほぼ同時に部長室の中から返事が聞こえた。

「失礼します。稲葉です」
「おはよう。さっきのメールの件か」
「そうです。中でもちょっと気になるものだけプリントしてきました」

阿久津に差し出すと、まだ熟読していなかったらしく、メガネを押し上げて読み始めた。

初回に続いて、2回目の放送が終わった直後である。1回目はデパートのエレベーターガールと消防、2回目は前回の続きとそれに医者が加わった回だった。

好意的な反応もあるが、否定的なものはやはり、その切っ先が鋭くとがっている。
辞める、ということは様々な背景があって、様々な理由がある。

エレベーターガールの彼女は、務めているデパートが業務改革を行うことでエレベーターガールを廃止することにしたのだ。ほかの部署への転属が決まっていたが、彼女は愛着のある仕事場で自分がたてなくなったエレベーターを見つめ続けるよりも、心機一転、新しい道を選んだ。

消防の彼は、まだ若く、配属になって2年目だった。初めからやる気にあふれていたわけでもない。就職先に困り、公務員ならという理由だけでなった仕事である。訓練から厳しく、辛く、もともと体力に自信のなかった彼はそれでも親や、友人の手前、嫌々ながら、なんとか配属までこぎつけた。だが、そこで辛い現実が待っていた。消防は火災の際の消火だけではない。2年目の後半、彼はほとんど仕事に行くことが出来なくなった。

そこまでが初回で、2回目は消防をやめる彼が、地元に帰って新しい道を模索し始めたところと、白衣という制服を身に着けたものの、過酷な労働環境とそれでも人を助けたいという使命の狭間で苦しんだ青年医師の話だった。

いずれも、その場にいてその本人にしかわからない感情と、離れていく悔しさ、そして、新しい出発を見守る姿勢まで持っていくものなのだが。

デスクの前に立ったリカを読み終わった阿久津がメガネを戻して見上げる。

「次回以降の放送に含まれる取材させていただいた方には、すぐ確認をとります。それと、これから取材予定の方々にも、こういうことがあったことはお話して、その上で、取材を受けてくださるかもう一度確認します」
「ふむ。NGになった取材者には礼を言って、放送から外そう。明日の会議で取り上げる。これから取材する相手にもNGが出るようなら、構成を考え直すか、ほかの取材対象を当たれ」
「わかりました」

報告を終えてフロアにリカが戻ると、AD達と共に、珠輝が受話器を握りしめていた。多少はこの手の反応があることは予想していたし、ありえる話ではあったが、あまりに強い反応は警戒が必要だった。
中には、すでに反応があったのか、長引いている電話もある。

批判の多くは、個人に焦点をあてたものが多く、特に男性二人に向けられたものが多かった。
半端な覚悟で仕事に就くからだ、生半可な気持ちで仕事をされる方も迷惑だ、そんなことではどこに行っても同じことを繰り返す。
そして、青年医師の方も人の命を預かるには弱すぎる、甘えがあるんじゃないか、そうやってやめていく医者が多いから、ますます過酷な環境になるのだ、云々。

真剣に叱咤激励のコメントも見受けられるが、時には、こんな奴やはり駄目だというものも交じっている。
特に、今回は厳しいものが多く、まだ途中の回のため仕方がないということを差しい引いても、取材させてくれた本人たちへも余計な非難が向く可能性があった。それらはこの企画の初めから覚悟していたものではあったが、リカ達は取材をさせてくれる人たちを守る責任がある。

何度も詫びている電話もあれば、繋がらずに次をかけている者もいる。

「どう?」
「んー、まだ午前中なので、なかなか繋がらないのと、繋がった人ももめてる人がいるみたいです」

数としてはそんなに多くはない。2月の放送から3月まで、1回につき2人か3人で30分のコーナーである。しかも、1回しか登場しないわけではないので、10人前後だというのに、なかなか確認が取れなかった。

大きなテーブルの方を振り返ると、立ち上がったADの一人がリカに向かって手を上げている。すぐに、駆け寄って、隣に立った。受話器を押さえたADが、険しい顔で首を振った。

手振りで電話を替わると伝えると、少し待ってください、と言ったADから電話を受け取った。

「変わりました。帝都イブニング、チーフディレクターの稲葉と申します」
『すみません……。せっかく取材してもらったのに、お話を聞いていたら私も怖くなってしまって……』
「何か、被害にあわれたりはしていませんか。あなたの放送はされていませんが取材を受けたこと、どなたかに話されたりしていますか」

手元には誰にかけていたのか、その人がいつの放送日なのか、すべてがまとめられたシートをADが差し出してくれていた。話しながら内容に素早く目を通す。
取材相手が前向きな気持ちで取材を受けてくれていても、同じ特集のなかでほかの取材対象のところで批判を受ければ、ひるんでしまう人もいる。そんな人を無理にテレビにさらすことはない。

電話の相手は、ホテルに勤めていた女性だった。人と接する職業についているからこそ、その反応が恐ろしいということもわかる。

「もう放送されてしまったものは、我々の意図と違う受け取り方をされてしまったことで、それは残念なことでもありますが、来週以降の回で放送される内容ももう一度見直してみるつもりではいます。不十分だった箇所にテロップを付け加えたり、ナレーションを追加することも検討していますが、どうされますか?」
『……申し訳ないんですが……』
「わかりました。こちらも残念ですが、決して後ろ向きな理由で取りやめるわけではありません。新しい生活に向けて、エールを送りたいことに変わりはありません。もし、何かあるようでしたらいつでも番組までご連絡お願いいたします」
『はい。スミマセン。せっかく……』

申し訳ないよりも、怯えた電話の相手に申し訳ない気持ちでいっぱいになりながら、リカは電話を切った。周りにいたスタッフからため息が漏れる。
こうしたことは少なからずある。どうしても仕方がない。ただ、仕方がないからと言って、何もしないでいるわけにはいかなかった。

「確認が取れた方、状況、報告ください!」

リカが声をかけると、電話確認の終わったものから珠輝が取りまとめに立って、リストを持ってきた。

「四人ほど、断られました。2週分は、何とかなりますけど、その次の週は……。代わりの取材を受けてくれる方をまた探さないと」
「わかった。候補を探そう。こうなる可能性もあったから、初めに取材対象をピックアップしたリスト残してあったよね?確認して、明日の会議にはかけられるように、今日中にまとめるよ」
「わかりました」

3月いっぱいまで、週一の特集コーナーである。リカは1か月分のスケジュールと内容の構成を自分のパソコンで開くと、抜けてしまった分と全体の流れを読み直し始めた。

投稿者 kogetsu

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