結局、ばたばたして午前中が終わってしまい、今日の番組の集合時間を迎えた後、遅れてリカはランチをとっていた。今日は、朝から放送予定だったはずの店の新規オープンが遅れることになって急きょ差し替えがおきたり、特集コーナーの組み換えがあったりして朝から大変だったのだ。
「ここ。いいですか」
目の前に立った珠輝に、リカは頷いた。珠輝は基本的に、弁当派でいつもフロアのテーブルで皆と一緒に食べている。
「ん。どうぞ」
トレイにお茶だけを乗せてきた珠輝が、弁当を開く。リカのカレーとは対照的な、可愛らしい弁当を広げた。
「すご。毎日よく作ってるよね」
「お金貯めたいんです。結婚するにしてもなんにしてもお金があるほうがいいじゃないですか」
「まあね」
そう言いながらも、箸箱から箸を取り出したところで手が止まる。
カレーを食べていたリカはスプーンを置いて顔を上げた。水に手が伸びる。
「なによ」
「……」
コップに注がれていた水を飲み干して、空になったコップに汲んでリカが戻ってくると、恨めしそうにリカを見る珠輝に苦笑いを浮かべた。
「言いたいことがあるなら言えば?」
「稲葉さんは腹立たないんですか?」
やはりそれが言いたくて、わざわざリカを追いかけてきたらしい。特にインターネットをフル活用するようになった最近では、局にくるコメントだけでなくツイッターもチェックするし、データ放送の反応などもすぐにチェックできるからこそ、余計に悪い反応の時は堪える。
給水器から汲んできた冷たい水を口にしてからリカは珠輝を見た。
「珠輝は、腹が立ってるの?」
「立ってますよ。だって、絶対に皆いろんな考えを正直に話してくれて、後悔もあるし、反省もしてるのに、どうしたらそう言う風に受け取れるんだって思いませんか?」
よほど、悔しいのか、広げた弁当に箸をつけるよりも、テーブルの上で握られた手が何度も彷徨う。
―― 私にもこんな頃があったなぁ……
リカはその手を見ながら、ひどく懐かしいなと思う。報道にいて、スクープさえ取れば何でも許されると思っていた頃、情報局に回されて自分のせいじゃないと思い続けていた頃。ずっと悔しくて何かに怒っていた気がする。
そして、PVがやらせじゃないかと言われた時。
しかも、視聴者だけでなく、その疑惑の目は内部からも向けられて、胸が痛くて、悔しくて、どうしようもない無力さに涙があふれた。
「うん。昔の私だったら悔しがってたかもしれない」
「昔って……」
「PVの頃とか?捏造なんてこれっぽっちもなかったのに、すっごい悔しかった」
「あ!……すみません」
リカに思い出したくない過去を思い出させてしまったかと、慌てた珠輝にリカは首を横に振った。
「ううん。あれはあれで、私にも非はあったのよ。色んなことを間違って……。だから仕方がないの。どれだけ言葉を尽くしたとしても、どれだけ誠意を尽くしても、伝わらない相手もいるし、完璧を求める人もいる。正義は人の数だけあるから」
一点の曇りもない空のようでなければ、許せないと思う人も世の中にはいる。それが、今回の対象である制服シリーズのような人々であればなおさらに。
「でも、だからこそ、じゃない?今回の特集。珠輝もこういう可能性がないと思ってたわけじゃないでしょ?」
「え……」
どういう意味か問い返してきた珠輝に、半分ほど食べ進んだカレーの皿の上をスプーンがとんとん、とつついた。
「どんな人にもターニングポイントがあって、制服着てても、着てなくても、皆、同じだって伝えたかったの。制服を脱ぐ理由も。珠輝は、わかってくれたんでしょ?」
「……だから、悔しいんです」
稲葉さんの想いも、取材を受けてくれた人たちの想いも、ちゃんと伝わらなかったのが。
喉の奥にぎゅっと痛い塊があって、珠輝は、眉を顰めて給茶機のお茶を飲んだ。熱いばかりでろくに味もしないお茶。
リカは、再びスプーンを手にしてカレーを食べ始めた。
「ちゃんと食べて、今日の放送やって、明日までに練り直すんだから、落ち込んでる暇なんてない」
「……はい!」
何度も目を瞬かせた珠輝が、可愛らしい小さな弁当箱を手に取る。
これから、代わりの取材対象を見つけて、もっと掘り下げて。
「終わった放送より、次の放送を考えよう。それでもだめだった時に、初めて悔しがればいいよ」
「稲葉さん」
「そんときはそうだな。藤枝のおごりで飲みに行こう」
こくこく、と頷いた珠輝が腕時計をみて、やばい、と呟く。リカもつられて壁の時計を見て、慌てて残りを急ぐ。
今日は、遅くなりそうな予感がする。それでも、絶対に、諦めない。大祐には遅くなるとどこかでメールを入れようと思いながらラストスパートをかける。
こんな時は曇り空のように思えても、その雲のこちらにも向こう側にも、必ず光がとおる時があるのだから。