『さっきは電話に出られなくてごめんなさい。よかった。何もないとは思ってたけど、少し心配してました。また後でゆっくりと』
大祐から送られてきたメールを開いたのは放送が終わってからだった。
時間を見ると、大祐の方も忙しかったのか、放送が始まる頃に届いていたメールで、こういう日もあるな、と思いながらリカの方からも、わかった、とだけ返信しておいた。
大祐の方もスマホになっていれば、無料アプリなども使えるのだが、まだまだガラケーを使っている大祐に、いちいちインターネットに接続するなどと無理強いするよりはメールの方が確実だからである。
「よしっと」
「稲葉さーん。打ち合わせしますよー」
「はーい!」
珠輝に呼ばれて立ち上がったリカは、今度こそ携帯をポケットに入れると、ノートPCを持って打ち合わせに向かった。
1週間の中日は、翌週のスケジュールを調整する日でもある。先々の企画と放送日は確定していても、その時の天気や時事ネタによって、当然左右されるからだ。ほとんどがノートPCを開いて、その場で企画書を直しながら、スケジュールシートを埋めていく。
こういう日の会議はひどく乗っていて、自分でも自覚のない高揚感が流れを作る。
誰かのアイデアが発散気味のようでいて、次の話題を引き出して、意外なネタが飛び出す。
追加取材が必要になりそうな話題もあったが、それはそれで面白いなら結果としてGOサインが出る。まるでこの場にいるたくさんの人数で一斉に激流をオールを手にして下っていくみたいだ。
一人一人が手にしたオールが、それぞれに影響し合って、流れを作り出して、大きく流れていく。
「時間も時間だ。そろそろまとめるぞ」
阿久津の一言で膨れ上がっていた会議は、収束に向けて動き出す。明日と明後日の放送は予定通りだが、追加取材が来週頭に放送分から入ったおかげで明日と明後日、珠輝は駆けまわることになった。
リカは、デスクでそのコントロールにあたる。
熱気の籠っていた会議室から吐き出されてきたスタッフは、そのまま残った仕事を片付ける者、明日の調整に入る者とそれぞれに散っていく。
「珠輝。まずは明日、朝一で追加分の取材先の候補をあげて。それからどういう風に回すか考えるから」
「わかりました。電話取材でもOKなところも含めていいですか?」
「ん。それも備考でつけてまとめて」
一つ空いて、同じ並びのデスクに座ると、残った仕事と、どうしても今日返事がいるメールだけを打ち返しているうちに、なかなかいい時間になってしまう。
机の上に、珠輝が銀色の包みを置いてくれた。近くにある評判のいい店の、アップルパイである。
「昼間、自分にご褒美で買ったんですけどおすそ分けです」
「ありがとー。嬉しい。お腹すいたね」
「空きましたね。こういう時間に食べるから太っちゃうってわかっててもダメ。今日みたいな日はがっつり食べたいです!」
お肉がいいな、と呟いた珠輝は携帯を触っていて、きっと大津に連絡を取っているのだろう。
肉が食べたいと珠輝に言われたら、大津のことだ。飛びついて、焼き肉でもなんでも連れて行ってくれそうだ。
「いいなー。私、昨日めちゃくちゃ眠くてお腹すいたって思いながら寝ちゃったから、今日こそ、ちゃんと食べよう」
「稲葉さん、まさかダイエットじゃないですよね?」
「まさかって何よ、まさかって」
だって、と珠輝はリカの姿を胸元からつま先までスキャンするようにじっと眺める。
どちらかと言うとぽっちゃりとしたタイプの珠輝は、恨めしい顔で首を振った。
「だって、あたしと違って、稲葉さん、スリムじゃないですか。全然ですよ。私、食べちゃうとすぐですもん」
「私だって、一緒よ。結婚してから、朝も食べるように気を付けてるんだけど、その分、ねぇ」
「うわー、わかります!今まで食べてなかったらきますよね」
うんうん、とほどよい甘さのパイをほおばりながら女二人で頷き合う。
そういうものだけはしっかりと食べてから、さっさと片付けて早く帰ろう、と意気投合する。
ふと、ポケットに入れておいた携帯に気付くと、大祐からメールが入っていた。
『お疲れ様。今日も忙しいのかな?昨日、電話できなかったので今日は早く帰ろうと思っていたんだけど、仲間内で飲みに行くことになりました。一度、皆で帰って車を置いてからまとまって飲みに行くので、遅くなると思います。帰ってきたらメールするけど、無理して待たずに寝てください』
「珍しい……」
車通勤の者がほとんどの基地で飲みに行くときは、皆で一度官舎に戻ってから、飲めない者を決めてその何人かが代表で車を出す。
これまで、ことごとく飲み会を断ってきた大祐だったが、今日は断れなかったのか、気が向いたのか、飲みに参加するらしい。
『わかりました。もう飲み始めてるかもしれないけど。というか、私はまだ仕事中で、お腹が空いてます。うらやましいな。私も参加したいくらい。楽しんできてくださいね。帰ったら、メール、待ってます』
たまには大祐も付き合いがあるだろう。空幕の時もなんだかんだと言って、職場の面々と飲みに行くことを楽しんでいたわけだからとメールを返したリカは、残りの仕事を片付けにかかった。
「空井一尉が参加してくれるなんて、珍しいっすね」
運転手に指名された青山二曹が、男が5人、みっちり乗った軽を走らせている。普段は自分一人か、友達が乗る程度なので、ずっしり重くなった車体はいくらか沈み込んでいる気がする。
「これ、路面凍ってたら止まれない気がしますよ」
笑いながら、安全運転で車を走らせる青山はルームミラーを覗き込んだ。
「俺の車でもよかったのに」
「それ、あんまり変わらなくないっすか。空井一尉」
「変わるだろ。俺の四駆だから!」
どちらかと言えばコンパクトな車であるスイフトとムーヴの張り合いが始まると、それぞれが乗る車が違うだけに突っ込みも入る。
最後には、乗せているものまで張り合いだす始末だ。
「自分、CDはかなり載せてますから!いい音させてますからね。今日は、たくさん乗ってるんでかけてませんけど」
「CD乗せるならいくらでも乗せられるだろ。お前、空井にかなうわけねーだろ。こっちは男じゃなくて、嫁さんのっけてる車だぞ。絶対!いーにおいするって!!」
最後にはでる、でる、と思っていた話題が出て、狭い車の中がどっと沸いた。
「うるさいな。それは関係ないだろ」
「またまた。出る前にりかぴょんにメールしたのか?あ?」
「ちゃんとしてるよ。遅くなるから待たないで寝ててって」
大祐が言い返すと、話題を振った隊員たちが皆、首を振った。
中には既婚者もいるが、男同士の付き合いには、とうに呆れているのか、あまりうるさくない。それこそ、待たないでと言うこともなく、さっさと帰れば寝ているだろう。
「いつまで新婚気分なんだよ。お前、もうすぐ一年たつんだろうが」
「まだだよ。籍入れたのは6月だからまだ10か月もたってないんだからいいだろ」
からかわれても、笑いながら言い返せる程度には余裕が出てきた大祐は、とことんまで飲ませてやる、と意気投合した彼らに寄ってたかって飲まされることになる。