鈴なり状態だった見学者たちは、最後に空井やリカ達が出てくる前にぱっと散らしたようにいなくなっていた。
小会議室に戻ったリカは、珠輝にむかって鞄から新しい
ハンカチを差し出す。
「珠輝。大丈夫?」
「……すみません」
悔しさと、自分自身のふがいなさを噛みしめた珠輝は絞り出すように呟いた。
「うん。ちょっと駄目だったね」
「すみません。……私も、インタビューで来てるのに稲葉さんの気持ちとか、色々考えたら我慢できませんでした。あたしたちの仕事だけじゃなくて、同じように取材を受けてくれた人たちまで」
「ストップ!それは理由にならないよ。珠輝。頭を冷やそう。……なんてね、私も偉そうなこと言えないんだけど」
坂手は余計なことは何も言わず、黙々とカメラの準備を整えている。大津を通して薄々は事の次第を知っているらしい。だが、移動しながら撮るために肩に担げるようにして、そ知らぬ顔で三脚を隅に寄せる。
気を使ったのか、大祐は施錠していたドアを開けると、部屋の外で待っています、と言って部屋には入らなかった。
声を上げずに少しだけ泣いた珠輝が、リカから受け取ったハンカチで顔を押さえた珠輝に背を向けたリカは、自分の鞄に濡れてしまったハンカチをしまう。
「珠輝。落ち着いたら、今度は一緒に来てくれる?インタビューは私がするから」
「……いいんですか?」
てっきりこのままここで待っているようにと言われると思っていた珠輝に、背を向けたリカは頷いた。
「私も……。気合い入れなおさなきゃ」
悪戯っぽく呟いたリカに、ほっと息を吐いた珠輝は頷いた。
化粧を直して、珠輝が行けると判断してから、リカは坂手と大津に声をかけてドアを開く。
「お待たせしてすみません。空井さん。お願いできますか?」
「わかりました」
そういうと、リカが望むとおりに、空井の案内で、インタビューがとられた。それが終わった後、もう一度応接に戻って、最後の問いかけが残っている。
「大変お待たせしました。先ほどは申し訳ありませんでした。制服、大丈夫ですか」
時間を置いたことで、だいぶ乾いたらしい。再び応接セットを挟んで向かい合った由香に頭を下げたリカは今度はその正面に腰を下ろした。
間を置いたことは由香にとっても何かしらの効果があったらしい。先ほど、大祐にもリカにもまったく相手にされなかったことが響いたのか、ひりひりするほど突っ張っていたものが今は感じられなかった。
坂手がスタンバイするのを待って、リカは口を開いた。
「大澤さんは、あと数日だと伺いましたが、入隊されてからの間の出来事で思い出に残っていることなどありますか?」
「……あったとしても、もう仕方がないです」
「あるとしたらどんなことが」
食い下がったリカに、先ほどの尖った受け答えとは少しニュアンスが違う反応が返ってくる。しばらく考えるだけの間が開いた。
「……“続けること”です」
「それは、働き続けることですか?」
「すべてです。想い続けること、努力し続けること。全部です」
静かに頷いたリカは、何かを書きながら、続ける。
「ご実家に帰られてから、次のステップに進まれると思いますが、ご自身としてはどんな事を?」
質問の内容がわからなかったのか、由香が口の中でステップ、と繰り返す。最後の問いかけはいつもインタビューした間にその場で決めていた。
リカは、一歩、気持ちの上で由香に近づく。
「たとえば、……好きな方のことでも結構です。先ほどは謹慎されたと伺いましたが、大澤さんが望んだこと、これから望むこと、求めるものは?」
「それは……」
問いかけられた由香は答えに詰まる。どこかで、大祐は絶対に自分の思い通りにはならないだろうなとも思っていた。もし、そうでなかったらきっと幻滅していたかもしれない。
結局、最後に残ったのは、迷惑をかけたことと、何もかも自分の手で壊した事実だけだ。
―― 私が、望んだこと……。望むこと?
視線が彷徨っていることがはっきりと見て取れる。
「今、答えが出なくても結構です。大澤さんの中で、新しいステップに進むための宿題ですね」
―― 宿題?
怪訝そうな顔をした由香に、リカが初めて、全開の笑顔を見せた。
「私も、女ですから、誰かを想う気持ちも……、自分自身でも答えが出ないこともあります。そして、同じように働く女として、悔しいことや思うようにならないこともいっぱいあります。だからこそ、毎日、見えない何かと戦っているんです。……なので、これは私から大澤さんへの宿題です。あなたがしたかったこと、これからしたいことはなんですか?答えは、いつか出たら教えてください」
再開したインタビューはそれほど長くはなくて、まとめの部分に使うものである。
由香は見ていないが、途中に差し挟んだ基地の中のインタビューがある。リカはこれで取材を終わらせるつもりでいた。
聞いている者たちにとっては、いささか拍子抜けするような、ごく普通のインタビュー。
前半の多少、ぶつかりかけたところは編集でいくらでもカットされるだろうし、それ以上の盛り上がりをどこかで期待していた野次馬にはよくもあり、悪くもあり、というところだろう。
「これでインタビューを終わります。長い時間、ありがとうございました」
立ち上がって、頭を下げたリカを気の抜けた顔で由香は見上げた。
―― これで終わりなの……?
由香自身も、もっと何かリカから責められるなり、なんなりあると思っていただけに、逆にどうしていいかわからなくて部屋の入り口に立っている大祐に視線を向けた。
前半、珠輝が怒鳴った時、大祐は仲裁するわけでもなく、リカや大津が珠輝を止めるのに任せて、何の口出しもしなかった。むしろ、自分自身をその場から消していたようにも見える。
そして今も、由香が助けを求めるように見ていることはわかるだろうに、何の反応もなく視線は窓の方へと向けられたままだ。
「……は、……い」
初めは珠輝が怒りだすのが面白いくらいで、散々挑発的に、突っかかった物言いを繰り返した。本当ならこの反応こそ、リカがするだろうと思っていた反応だったからだ。
そんな由香の挑発に反応することなく、リカは珠輝を諌めて、そこからはひどく冷静にインタビューを進めてきた。
まっすぐ視線を逸らさずに受け止めて、正確に返してくる。
―― こういう人だから空井一尉は好きになったんですか
ガツガツしているなら、いっそ、こういう挑発にはわかりやすく脆いはず。女性らしく動揺するのではないかと思っていたのに少しもそんな様子は微塵もなかった。
自分とは、何もかもが全く違う人。
まっすぐに、私も女ですからと自分へ向けられた笑顔が眩しすぎて、胸が苦しくて。
リカが光なら自分が闇のような気がして。
もうインタビューをやめたいと言おうかと思っていたところに、リカから、終了を告げられたことが理解できないでいる。気の抜けた声で由香は繰り返した。
「……終わり、ですか」
「はい。ご覧いただいていると思いますが、コーナーでは各回、複数の方を取り上げさせていただいています。そのため、トータルの放映時間の中でどのくらいの割合かはっきり、今の段階では申し上げられませんが、放送は3月の下旬になると思います」
他に言うこともなくて、リカの説明に由香は、わかりました、と呟く。今日はこの取材のためだけに来ていたので、リカ達が撤収するのと同じように終われば帰るだけである。謹慎は終わっていたが、残りの有休を消化しているところだったのだ。