「今日は、ありがとうございました。私と佐藤は新幹線で戻りますけど機材車はこのまま車で東京に戻ります。お忙しいようでしたら、空井さんの方から基地司令と山本室長にはお礼を伝えていただけますでしょうか」
「承知しました。こちらこそ、今日は取材していただきありがとうございました」
取材が終わりと聞いて、見物していた隊員達もそれぞれに戻りだす。大祐とリカが話しをしているところに、所在無げに立っていた由香が近づいてくる。もうほかに大祐と話ができる機会などないからだ。
「あの、空井一尉……」
大祐と向かい合っていたリカには、由香が近づいてきたのが見えていたはずだ。
リカが一瞬、片足を引いた仕草で大祐にもそれが伝わったと思った。それがわかったはずなのに、大祐はあえてその視線を遮る様にリカの前に立つ。
「自分、松島基地での最後のアテンドが帝都テレビさんの取材でよかったです」
「え?」
「まだ内示の段階ですが、4月には松島基地から異動になります」
その場に残っていたのは渉外室の隊員と由香と、帝都テレビの面々だけだったが、リカ達だけでなく隊員達も驚いて顔を向けた。大祐は一人、すっきりと晴れやかな顔をしている。
「僕自身、希望して異動してきましたが、ブルーインパルスもようやく去年戻ってきて、実際には復興なんてまだまだですけど、僕なりに新しい場所で違う形でまた」
全く、寝耳に水の話すぎて、リカも驚きすぎて声が出なかった。リカと大祐の顔を交互に見比べた珠輝は、何と言っていいかわからずにうろたえていると、坂手が、そっか、とあっさり頷く。
「転勤、多いんだったよなぁ。まあ、また新しいところでも頑張ってくれや」
「ありがとうございます。普通、内示の段階では口外してはいけないんですが、これで僕の仕事も一区切りなので、帝都テレビさんにはお礼を言いたくて。ありがとうございました。稲葉さん?」
途中で、こちらこそ、と頭を下げたまま、戻せなくなってしまったリカに、珠輝も驚いて隣から覗き込む。
「稲葉さん?!大丈夫ですか?」
頭を下げた姿勢のまま、手を膝のあたりで強く握りしめて固まってしまったリカに、大祐は一歩、踏み出した。
ふわりを、リカを横抱きに抱え上げる。
「え、え?!」
「佐藤さん。稲葉さん、少しお疲れになったようなので、医務室にお連れしますね。その間に帰りのお支度を済ませておいてください。自分、仙台駅までお送りしますから」
「あっ!あ、はいっ!ゆっくり支度します!」
あたふたと返事をした珠輝にありがとう、と笑顔を返した大祐は、呆気にとられている面々の前を通り過ぎて、すたすたと医務室へと歩いていく。抱き上げられると同時に、顔を覆ってしまったリカの表情はわからなかったが、なんだかその光景はひどくうらやましく見えた。
「やっぱり空井さんと稲葉さんってかっこいい……」
思わず呟いてから隣に立って同じように、その様子を見送った由香に、珠輝は手を差し出した。一言も、一瞥も由香には向けることなく、リカを連れて出て行った大祐をどんな気持ちで見送ったのか、ぼろぼろと溢れだした涙が物語っていた。
「さっきはすみませんでした」
「いえ。私、間違ってませんから」
ぐいっと袖口で涙を拭った由香は、大祐と同じように、背筋が伸びたきれいなお姿勢で頭を下げた。
「私、あの人、めちゃくちゃ嫌いです。恵まれてて、きれいで、きっと、すごくすごくいい人だから大嫌いです」
その言葉にぷっと吹き出した珠輝と握手を交わしてから由香は応接を出て行った。
残された坂手達のために、大祐の代わりに別な広報の隊員が走ってきて、代わりに施錠をあけてくれるという。黙って見守っていた男二人、坂手と大津は顔を見合わせてにやりと笑った。
「おーし。じゃあ、稲葉のために、ゆっくり支度しようや。な」
坂手の言葉に笑い出した三人は小会議室へと移動していった。
医務室へとリカを運んだ大祐は、看護士にわけを話して奥のベッドにリカを休ませた。
気を利かせたのか、用を足してくるからと言って二人だけになった医務室の中で、制服の腕は今リカのものだった。普通のベッドよりも細長い、真っ白なベッドの上にリカを下ろして、その隣に腰を下ろした大祐が、あやす様にその背を撫でている。
「こんなぎりぎりで無理かと思ってたんだけど、俺、今回だけは、ありとあらゆるつてを使って、頼みこんだんだ」
本当は、浜松の広報に名前が挙がっていたという。ほぼ決まりかけていた人事をこの3月に入るところで覆すのは相当な無茶だったはずだ。
「今回の、注意っていうのも最後には持ち出して、そういう注意を受けた俺は、中枢で教育し直すべき、とかそういうことまでやって、やっと、今朝、聞いたんだ」
どこかで、今回のごたごたのせいだろうかと胸を痛めていたリカは、それが本当の理由でないらしいことにはぁ、と大きく息を吐いた。
大祐が松島から離れることを願っていたわけではないのだが、今はここから離れた方が楽になるんじゃないかと一瞬、喜びもした自分を恥じてもいる。
なぜだか自分でもわからない。ただ、また大祐が自分から離れてどこかに行く日が急にやってきたような気がして、おかしなくらいに涙が浮かんでいた。ぐちゃぐちゃな気持ちのまま、大祐の肩に頭を寄せていたリカがくぐもった声を出す。
「もう……。ただでさえ緊張してたのに、最後だからって急に言うからっ」
「ははっ。そこでリカが泣くとはまさか思わないよ。だって喜んでくれると思ってたんだもの」
「え……?」
なぜ、自分が喜ぶのかと顔を上げたリカの頬に手を当てる。涙の跡を拭いながらゆっくりとその頬を撫でた。
「島崎三佐が言ってたんだ。嫁さん、東京に置きっぱなしでいいのかって。俺、その時はまだリカと一緒になったことに浮かれてたけど、今は違うよ。置きっぱなしになんかしておけない。空は繋がってるけど、今はリカと手を繋いでいたいから」
だからね、と嬉しくて仕方がないという顔で、もったいぶっていた大祐が続ける。
「春から、もう一度、空幕広報室勤務になるんだ」
「えっ!……だって、同じ場所に2度なんて」
まず、よほどのことがないとないはずだ。
まして、大祐は自分から異動願いを出したはずなのに。
「うん。本当に、よほどでないとありえないんだけど、僕の場合、任期の途中で異動したから、それを鷺坂室長が持ち出してくれて、次に浜松基地に移動予定の島崎三佐が動いてくれて、山本室長のプッシュとか色々あって。僕は、本当は十条の補給基地でも、最悪、百里でもいいから少しでもリカと暮らせる可能性がある場所に行きたかったんだ」
額を合わせて、間近でリカの潤んだ目を覗き込んだ。
「春から、一緒に暮らしてくれますか。リカさん」
言葉にならなくて、こくこくと頷きながら、ぎゅっと抱きついてきたリカを同じくらい、いやそれよりも、もっと強い力で抱きしめる。引き継ぎ期間がほとんどないような状態で、非常に慌ただしくなることは目に見えていたが、それでも今は嬉しかった。
ぎゅっと抱き合って、鼻先に軽くキスすると、我慢できなくなって、軽く触れるだけのキスを繰り返す。カーテンで仕切られているとはいえ、制服姿でしかも基地の中だ。
「ごめん。制服なのに……」
「空井さん、あの時も今も制服なのに……」
二人で同じことを言いだして、ぷっと笑いあう。
泣いて、笑って。それを一緒に繰り返すために。
―― 一緒に暮らそう……