眠り姫の憂鬱 9

携帯が鳴ったのは日曜日の夜だった。

携帯に表示された名前をみて、どきっとしたリカは携帯を手にしていたがすぐにタップできなかった。
手の中で震える携帯をしばらく見つめてから電話に出る。

「もしもし」
『もしもし。リカ?連絡、遅くなってごめん!』

いつもと変わりなく、電話から聞こえる声に一瞬で涙があふれてきた。ずずっとすすり上げたリカに電話の向こうではひどく慌てたようだった。

『わっ、ごめん!!ごめん、本当にごめん。色々あって、携帯を買ってこれたのが今日で、家のメールもさっき見たんだ。本当にごめん。昼間、メールしようかと思ったんだけど、長くなりそうだったし、ちゃんと話したかったから……。わー、ごめん。リカ、泣かないで」

声を出していないのに、止まらなくなった涙はきちんと電波を通して大祐に伝わってしまう。
大丈夫、と言おうとしたのに、喉が詰まって言えなかった。

『リカ……』
「う……。だいじょぶ……」
『大丈夫じゃない。ごめん……』

泣いていたら大祐の話を聞くことができない。何とか、涙を止めようとする間、ひたすら謝り続ける大祐の声を聞き続けた。

「はぁ……。ごめんなさい」
『なんでリカが謝るの。謝るのは俺だから』

些細なひと言が気になって、引っかかって、胸が苦しくなる。

―― 謝るのは俺だってほかに謝ることがあるの……?

「なんで……」

何かを言おうとしてもほかに言葉が出てこない。ようやく出てきた言葉が大祐を責めてしまいそうで、リカが言葉を切る。
大祐の方も、いつもとはやはり何かが違った。

『うん……。リカに話さなきゃいけないこともあって、それはちゃんと会って話したいから今は止めておく』
「なんで……?」

きっぱりした大祐の口調に思わず同じ言葉を繰り返してしまう。何かあるなら今話してほしい。そう思ったが、大祐の口調は変わらなかった。

『それは電話で言うことじゃないから。それより、携帯、俺もスマホにしたよ。使い方わかんなくて、データとか移すのにすごい苦労したけど、リカが言ってたアプリも入れたから今度からメールじゃなくて』
「それよりって何?何か話があることだけ匂わせていつになるかわからないのを待てばいいの?」
『そうじゃないよ。そうじゃないけど、ちゃんとリカの顔を見て話したほうがいいこともあるでしょ?』

噛みつくように言い返したリカに、言い聞かせるように言う。その話し方を聞いていると、大祐の頑固さが滲んでいた。こういう時の大祐は誰が何を言っても曲げない。

『ちゃんと話したいことは顔を見て話すよ』
「なんで……?」

―― ああ、馬鹿の一つ覚えみたいだ。同じことばっかり繰り返してる……

『リカ……。ごめん、気になるなら忘れて。俺もいい方が悪かった』
「だって」
『リカ』

ただ、名前を呼んだだけなのに、頭に血が上りかけたリカは、すっと冷えた空気を感じた。

『リカ。なんていわれても、今は話すつもりはないし、話したくない。顔を見て話すことと電話やメールでも済む話と違うと思ってる』
「……わかりました」

リカの返事にあからさまにほっとしたらしい大祐が何かを言いかける前にリカの方が動いた。

『ありがとう。それでね。電話の……』
「顔を見て話さなきゃいけないようなことがあるなら、今は無理だから」

ぷつ。

つとめて明るく話そうとしている声が堪らなくて、リカは言うだけ言うとそのまま通話を終了させた。

ちゃんと会って話したい。

それはわかる。わかるけど、今は、先に電話でも話してほしかった。
もしかしたら話そうという気持ちが本当はあったのかもしれないが、リカが頑なに出てしまったから、同じように話しの落としどころを間違えてしまったのかもしれない。

だとしても、声からこんなにも拒絶された空気が伝わってくると思わなかった。

テーブルに置いた携帯には、すぐに大祐から電話がかかってきたが、出る気になれなかった。怒っている、と言うよりも、怖かったからだ。
一言だけ、呼びかけられた声をもう一度聞きたくはなかった。

ちゃんと話を聞こう、聞くまでは勝手に疑ったりするのはやめようと思っていたのに、蓋を開けてみればちっともそんな風に冷静になどなれなかった。

泣いたせいもあって、気持ちは少しも眠れそうになかったが、ベッドに横になって目を閉じると、すとん、とシャットダウンするように眠りに落ちた。

朝起きて、腫れぼったくなった顔を擦りながら、携帯を見ると、着信履歴がたくさん残っていた。2時近くまで鳴らしたようで、それも一度のコールが1分近い。
留守番電話に切り替わるまで何度も鳴らしたのがわかる。

でも、留守番電話には何も録音されていなかった。

ちゃんと話す。

伝言ではすまないことがわかっていたから、大祐も残さなかったのだろう。
メールもなく、ただ、着信だけが残っていた携帯は、ひどく胸にこたえて、支度をする間、充電器につないでいたけれど、こんなにも置いて行きたい気分になったのは初めてだった。

化粧を済ませて支度をしたリカは、山のような菓子を紙袋に放り込んで局に向かった。

「おはようございます。い……」
「おはよう。何も言わないで。わかってるから。何も突っ込まないで。今は無理だから」
「……ハイ」

触れれば崩れそうなひりついた勢いで顔を合わせた瞬間に、諸手を上げたリカにそう言われた珠輝は、目を丸くしてリカを見た。だが、返事以外に何も言えずに自分の席に座りなおした。

どさっと重い荷物でも置くようにデスクの上に鞄を放り出したリカの顔は、何かがあったことは一目瞭然と言うくらいに腫れぼったくて、きっと大泣きするような何かがあったとすぐに分かった。
どうしたんですかと聞きたかったが、今は聞いてくれるなというのだから、珠輝にはそれに頷く以外の道はない。

せめて、珠輝にできるのは、アラートを上げるくらいだ。携帯を取り出して藤枝宛に、リカの様子を急いで送る。逆に、大祐のメルアドは知っていたが、この状態で何かアプローチができるほど、親しい関係ではない。余計な藪をつつく度胸はなかった。

投稿者 kogetsu

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