雪 時々 熱

「これは駄目だね」
「やばいですね」

ガラス窓の外は吹雪といっていい視界で、いつもなら見渡せる都内のビル群も真っ白な花びらの向こうに霞んで見えた。

「よし。中継、ニュースのほうでもうあちこちに散ってるよね。そっちに切り替えられないか聞いて」
「わかりました」
「差し替えのキューシート、用意しよう」

踵を返して走っていく珠輝は、リカの片腕だ。阿久津は、情報局の部長になって、現場のリーダーは持ち回りではあるが、リカが担当することが多い。
ほかのディレクターたちに声をかけて、今日だけでなく明日の番組内容も大幅に変更を伝える。

明日担当のディレクターたちはすぐにビデオの編集に走り、今日担当のディレクターたちはすでに現場に走っている。
リカは、携帯に届くメッセージを見て小さくため息をついた。

『リカ。そっちはどう?無理しないでなるべく早めに帰って』

「帰ってって言うほうなんだよね。こっちも……」

都内はすでに混乱し始めていて、昼を過ぎたあたりから、企業も早々に帰宅を進めている。主要駅では間引き運転も始まって、混雑は増してきているらしい。

あちこちの基地を知っている大祐には、雪の様子も想像がつくのだろう。松島だって雪は降る。

「今日は、簡単に帰れないですよー……」

携帯をポケットに入れると、リカもパソコンをもって移動する。こんな日は、もうキューシートを印刷せずに逐次変更を各自の端末に送ってやり取りをするのだ。

外の雪はますます強くなりだしたようで、風で舞うままに窓ガラスに吹き付け始めた。

結局、放送内容は大幅に変わり、各地からの中継を何度も繰り返して終わりを迎えた。
終わってからも、情報局の中はバタバタしていて、明日の放送に備えて、局に泊る者、近くのホテルをとる者、さまざまだったが、遅くなるにつれ、主要駅の混乱も落ち着いてきたらしい。

大祐からは無理をせず、局の近くに泊ればというメッセージも来ていた。

藤枝は、自分は局に泊るから確保しているホテルを使えとも言われていたが、地下鉄さえ動いていれば、リカは家に帰ることもできるし、局に出てくることもできる。

こんなことになってもいいように履いてきたブーツで、局を出た。
局の目の前は除雪されていたが、すぐに歩道は足跡がはっきりできるくらいに積もった場所に出る。

地下鉄までいつもなら近いはずなのに、足元が滑って、一歩一歩が大変だった。傘もさしているのにどんどん吹き付けている中で何とか地下鉄の駅にたどり着く。

その間に、携帯が何度か鳴っていたことは気づいたが返すだけの余力がなかった。

雪を払っても濡れた雪はリカの髪もジャケットもぐっしょりと重たくしていた。傘を握っていた指先がかじかんで、なかなか自由にならない。
やっと携帯をだして、画面をタップしても指が冷たいせいかなかなか反応しない。

『リカ。まだ終わらないの?』
『家に帰るの?』

溜まっていたメッセージを見たリカは、ふーと息を吐いて、メッセージを打ち返す。

『終わりました。これから帰ります』

即座に既読がついて、大祐からのメッセージを待つ前に、リカは改札を抜けてホームに向かった。駅の中は夕方からの騒ぎなど嘘のように、いつも以上に人がまばらである。

電車に乗っている間に、ようやく体は温まってくるがその分濡れた服が一層、重く感じた。

『駅から結構歩くのに。大変じゃないの?』
『そんなことないよ。駅も街の中もびっくりするくらい人がいないから大丈夫』

どれだけ言っても、大祐の心配性は変わらなくて、過保護すぎるとリカは思うくらいだ。

階段を上って、地下鉄の出口に立っていても、いつもなら次から次へと入る人、出る人の邪魔になるはずなのに、ほとんど人がいない。リカより先に階段を上ったサラリーマンが、コートを体に巻き付けるようにして、歩いて行く。

「……よし」

リカも気合いを入れなければ踏み出せないくらい、冷えて寒い。
傘を手にして歩きだせば、除雪もされていない歩道は雪がたくさん積もっていた。

 

大通りはまだましだったが、歩道を渡っていくうちにますます雪は深くなっていく。

車も時折通るのはチェーンをまいたトラックか、タクシーのどちらかで、遠くからでもじゃりじゃりとチェーンの音が響いた。

「や……、もう傘意味な……」

折り畳みではなく、しっかりしたジャンプ傘だったのにそれも折れそうなくらいの風が吹いている。
マンションの前に続く路地に入ると、リカは傘をあきらめてマフラーを押さえた。

あと少し。

そう思って歩いていると、ふっと視界の端を黒い大きなものが横切った。

「きゃ……っ」
「リカ!」

頭から大きなジャケットをかぶせられて、一瞬驚いたリカは、自分を呼ぶ声に目を丸くした。

「えっ?」
「だから大丈夫かって送ったし、電話もしたのに!」
「だって、電話なんか出られるような状態じゃ……」

ジャケットの中でリカの濡れた髪をかき上げて、ようやく顔を見る。

「無理しないでって言ってもいつもリカは聞いてくれない」

両手で冷えた頬を包み込まれる。
大きな手は濡れて、冷えた頬に熱を伝えてくれた。

「なんで……?」
「こんな日に、人も少なくて、何かあっても助けてくれる人だっていないくらいなんだから」
「そんなの……」

大丈夫。

そう言いかけて、ふ、と。

温かいものが触れて、離れた。

「いつかは、やめたけど、今はやめないよ?こうやって腕を掴まれて襲われたらどうするの」
「……自分は?」

自分はいいの?

反射的にそう言い返したリカに今度はもっと、本当の深い熱が伝わる。
噛みつくように。

「襲うよ?俺だって」

こんな雪の中で、人もほとんどいない街の中で。

何をしてるんだろう。

頭の中も真っ白になって。
我に返る前に、大祐に抱き寄せられた。

「帰ろう。早く」
「……うん」
「じゃないと、このままリカを抱き上げて帰るよ?」

あながち、嘘ではない様子にひく、と頬をひきつらせてリカは歩き出す。
スキニーの足はもう雪で真っ白になっていて、そのリカを連れて、マンションへ向かう。ロビーに入る手前で大祐に雪を払ってもらって、中に入った。

「ね。どうして?」
「ん?なんか、こっちが大変そうだ―って言うのは昨日からニュースでやってたじゃない?俺たちも色々と、ね」

そういって大祐は悪戯が見つかったように笑う。
伊達に、詐欺師鷺坂の弟子ではないらしい。何をしたのかはわからないが、仕事を強引に作ったのか、こちらに来る予定の誰かから仕事を強引に奪ったのかして、都内にいたらしい大祐は、リカの頭から自分のジャケットをとった。

「有事でもないんだし、こんな時くらいどうとでもなるよ」
「詐欺師鷺坂直伝?」
「まあね」

そのくらい当たり前だから、という大祐の顔はあの頃とは少し違う。

隣で見上げたリカの目に気が付いたのか、大祐は片眉を上げて見せた。

「俺も、変わるよ?」
「そうなの?」
「そりゃね」

今は、曖昧な関係ではなく。
そして、時々。

Love X beast.

—end

投稿者 kogetsu

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