7月26日
「……珠輝」
「なんですか、稲葉さん」
「……つい」
「はい?」
カレンダーでは、リカも珠輝も休日のはずで、こんな平日だったら早出の時間に職場にいるのはおかしいはずだった。
とはいえ、2人の仕事場はTV局であり、世間が休みでも働いている者たちはたくさんいる。
情報局のリカたちのフロアだけは平日放送の番組だけに人が少なかったが、他の番組やフロアで働く人たちのために空調は動いている。
「暑いっ」
突然叫んで立ち上がったリカは、壁の空調を叩いた。人数が少ないフロアは節電のために個別空調にきりかえられているからだ。
ふわーっと風の吹き出す音がして冷えた空気が動いた。
「確かに少しいつもより暑いですけど、エコですよ、エコ。少しくらいいじゃないですか」
「ただでさえ暑いのに我慢して作業なんてあり得ないから!心置き無く涼しくするわよ」
「稲葉さ~ん、本当に休むんですか?結構、厳しいの、わかってますよね?」
ムッとして自分の席に戻ってきたリカは、返事もせずにスケジュール帳を開く。
普段、休めのなんのと言っていて肝心な時に休もうとしても休めないなんてあり得ない。
そう思うと、挫けてやっぱり出てくるといいそうになる。
「……休むわよ。休むに決まってるじゃない」
自分に言い聞かせるようにそう呟くと、リカは書類に目を落とす。
さすがにすべての航空祭を網羅するようなことはないわけで、地方のローカルイベントでフライトする様など、主要キー局が配信することもない。
自分でも、なぜこれほど、意地になっているのかわからなかったが、無茶なことをやってみたかったというのもある。
今までは仕事が最優先で、もちろん、仕事をして給料をもらっているのだから当たり前のことではあったが、休みなどほとんどとらなかった。代休も大抵、消化するのに苦労して、やっと休んでも銀行回りをしたり、ろくな時間を過ごしてもいなかったが、今は少し違う。
「珠輝」
「はい」
「休んでても困ったときは電話していいからね。繋がらなかったらメールでもいいから」
もちろん、珠輝にもそれなりの自信はあった。それでも、これだけのトラブル続きで弱気になっていたのだろう。
しばらく黙ってからすみません、と小さく呟いた。
「稲葉さんに心置きなく休んでもらおうと思ってたのに……」
「……」
ごめんと言いたかったが、言ってしまえば休みを返上してしまいそうでぐっとこらえたリカは、早く終わらせよう、と声をかけた。
7月30日
「じゃあ、これとこれはメールしとくから。確認するときはチェック用にシート作っておいたこれと……」
「わかりました」
「ちょ、阿久津さん!話聞いてます?一応、聞いておいてくださいね」
「……お前誰に向かって言ってんだ」
「現場離れて長い阿久津さんにです!突発は珠輝だけじゃ困るときもあるのでちゃんと聞いててくださいね」
明日から休みを取るつもりで、阿久津と珠輝と会議室に籠って、引き継ぎをしていた。残っている仕事、対応しなければいけない仕事、などなど、珠輝に託していくものをざっと引き継いだ。
それでもすべてが終わるわけではなかったが、久々の連休ということでリカも意地になっていたのと同時に、舞い上がってもいた。
翌日の新幹線の時間も調べ終えている。後は、今夜急いで帰って支度をすれば朝一番で出かけられるだろう。
昼になって、先に食堂に向かったリカは、カレーを食べ終えた後、財布だけを手にして足早に局を出た。いつもはわざわざ土産など買わないのだが今回は大祐の職場に持って行ってもらうこともできるように、数が多くて配りやすいような菓子を買うつもりだ。
少し言ったところにある大型デパートの中であれこれと見て歩いているうちに、時間が迫ってきて、慌てて局に戻る。
「あ!稲葉さん!」
フロアに戻ってきたリカを女性スタッフが駆け寄ってくる。
目を丸くしたリカが顔を向けると、フロアの中は昼が終わった直後だというのに、スタッフも多くてざわついていた。
「大変なんです」
「何?どうしたの?」
「珠輝が急性胃腸炎だっていって、お腹痛くて倒れちゃって……」
「えっ?!」
確かに朝から腹の具合が悪いのだと珠輝は頻繁に手洗いに行っていたが、女子同士、そういう日もあると、必要以上に心配はしていなかった。
リカが昼食に出た後、急にひどくなった珠輝は医務室に運ばれたが、腹痛のひどさに近くの病院に女性スタッフが付き添って向かったところ急性胃腸炎と診断されたというのだ。
「今、病院で点滴してから帰ることになって、一旦、ついていった沙紀が帰ってきたところなんです」
「珠輝はじゃあ……」
「しばらく休みだって……」
珠輝が心配になったのと同時に、リカは休めなくなったなと複雑な気持ちになった。
財布をバッグにしまって、急いで阿久津のもとに向かう。
まだ昼をとっていなかった阿久津は、そのまま部長室にいた。
「阿久津さん。珠輝が」
部屋に入ってきたリカが口を開くとメガネを押し上げて頷いた。
さっきリカが聞いたばかりの話を繰り返す。
「来週いっぱいとまでは行かんだろうが、半ばまでは休みだろうな」
「……ですよね」
「だがな、稲葉。お前は予定通り明日は休みでいいぞ」
「阿久津さん」
リカの代わりをするはずの珠輝が休みになっては、どうしようもないはずだと首を振ったリカに、強く繰り返す。
「お前な、初めにお前が言ったんだろうが。自分がいないくらいで回らなくなる仕事なんかおかしいと。確かにうちもいつ何があるかわからないからバディ体制をとるようにはしているが、これからお前だって子供でもできたらこういうことだって多くなる。あれだけ言ったんだからお前はちゃんと休め」
「でも、そんなわけには」
引き継ぎも珠輝にはしたが、ほかの誰にも説明も何もしていない。阿久津はあくまで責任者として見てもらうためで、代打が出来そうなディレクターもいなかった。
デスクの前で立っていた阿久津は腰に手をあてて首を振って下からリカをじろりと見る。
「稲葉。この後、半から二人ほど、俺と佐藤にした説明をもう一度しろ。それと、もう少しいない間の案件を絞れ。来週にまわせるものは回して、お前が対応すればいいだろう。佐藤には、来週後半に、またしっかり働かせればいい」
それは無理だの、今からではと言い続けるリカにごちゃごちゃいうな、と一喝した阿久津は二人ほどディレクターを回してリカに時間までに引き継ぐように言った。
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pixivからの転載です。