僕らはそしてほろ苦いコーヒーを飲んだ 3

「たにー?外人か?」
「違う。谷だ」
「たにだ?」
「た!に!……だ!」

ああ、とようやく飲みこめた鉄彦が頷いていると、初めに話しかけた男、渋井が谷に話をさせる気になったようだった。

「俺は鉄彦だ。ここもやっぱりノクスは偉そうなのか?」
「偉そう?偉そうなんてもんじゃねぇ。俺達はあいつらの下僕さ」

そういうと、谷は、この村の生い立ちは、峠の集落から始まって、初めはノクスもキュリオも円満に暮らしていたと言った。

「村の者がノクスになったのがほとんどで、もとからの顔見知りさ。多少の行き違いが起きてもすぐにうまいやり方を見つけて、ここは比較的うまくやってた方なんだ」

大きなトラブルもなく、本当にうまくやっていたらしい。その頃を思い出すと話は途切れずに、こんなこともなんとかしたんだ、と谷と渋井の両方が交互にしゃべりだした。

その話と今のこのありさまとはどこをどう捻っても結びつかない。

鉄彦は首をひねってから両手を叩いた。

「はいはいはい。それはわかったからさ。なんで今はこんなんなっちゃってんの?全然、結びつかないんだけど」

調子よく話していた二人は顔を見合わせる。肩先で小突き合って、どちらが話すべきかというやり取りの後、結局、谷が口を開く。

「ここは長野や、他の大きな街からちょうどいい距離にあったからさ。そこらからノクスの連中が来たんだ」

研修施設とは、名目でほかの街との文化交流。
同じ街の中では遺伝子のカップリングも限度がある。情報交換や、物流の調整など、中間にあるこの村をその調整場所に選んだのだ。
それぞれの街から、担当者や役人たちが来て、この村にもともといたノクス達に色々なことを教え込んですっかり引き込んでしまった。

「それからだよ。この村がこんなになっちまったのは。今じゃほかの街もそうだって聞くけど」
「ちょ、ちょっと待て!俺、あんまり頭よくないからわかったような気がしたけど、やっぱ、わかんねぇ。いくらノクス達が入ってきてもなんで奴らのいうことを聞かなきゃなんないんだ?キュリオにはキュリオのやり方もあって、拒否できるだろ?」

鉄彦の生まれ育った長野八区はまさにそんな状態だったからこその疑問だ。経済封鎖とはいえ、キュリオはキュリオで生活していたわけだし、貧しくて物資も十分ではなかったが、行政も完全にその存在をないものにはできないわけだし、ノクスの言いなりということがわからなかった。

「お前、どっから来たんだ?鉄彦」
「俺?俺は長野八区」
「長野八区?!とっくの昔に無くなったんじゃないのか?」
「無くなってねぇし!ついこの前解放されたばかりだから」

いきり立った鉄彦に周りにいたキュリオたちがざわざわとどよめいていた。
彼らには、全く世間の情報が届いておらず、ノクスから与えられる情報だけで生きている。鉄彦の与える『外』の情報は彼らには新鮮でどこか信じがたかった。

「本当か?」
「長野八区は、ノクスに逆らったから制裁を受けたって聞いたぞ」
「そりゃ、……経済封鎖はされてたけど!それはもう終わったんだよ。終わって……終わったんだ。だから俺と森繁は長野から離れて旅してるんだ」

違う、と事実を事実として強く否定した鉄彦に、谷と渋井は顔を見合わせていた。その顔には、信じ難さだけが滲んでいて、とても鉄彦の言うことを本気で受け取っているようには見えない。

「本当だって。俺はキュリオだし、森繁はノクスだけど、俺達はうまくやってる」
「……そんな。お前、……うつらないのか?そんなわけないよな?うつったら、しくじったら、死ぬかもしれないんだぞ?」

ノクスのウィルスに感染したら。
抗体がなければ、はるかにありえないほどの確率を除いて、ほぼ間違いなくキュリオは死ぬ。

それを指しているのだと鉄彦もわかっていたが、首を振った。

「うつるかもしれないことはわかってる。でもノクスと一緒にいるからって、触ったり近くにいるだけじゃ感染したりしない。体液や、血液に触れて、それを取り込んだりしなければ大丈夫なんだ」
「う、嘘だ!!」

後ろにいた若い小柄な男、が飛び上がる様にして立ち上がった。そういえばこのキュリオたちの中には若い女性は一人もいない。いるのは男と、年老いた女だけだ。

「あいつらは、あいつらは……、俺達にうつれば死ぬんだっていって、死にたくなければ言うことを聞けっていうんだ。女は子供も若いのも皆、同じように言われて連れて行かれたし。抗体を打たれて、無理やりノクスにされて、今じゃ俺達のことなんか忘れてる。後は……、俺達男だけと、婆さんしか残ってない。俺達は脅されて、こんなところで家畜以下の暮らしをさせられて、死ぬまでずっと……!」

それは、きっと悲鳴よりも悲鳴に近い声だったかもしれない。
他の者たちは、ただ項垂れてそれを聞いていた。

首を振った鉄彦は口元を押さえて立ち上がった。

「違う……。違うよ。そんなの……」

オカシイヨ。

ギリギリのところでその一言を飲み込んだ鉄彦は、何度も首を振って、キュリオたちを見回した後、鉄彦は身を翻して駆けだした。

どこをどうやって連れてこられたのか、覚えていなかったが、とにかく夢中で駆け出して、どこをどう走ったのかわからないままに、いつの間にか外を走っていた。

「はぁっ……、はぁっ……」

暗い中でノクスの建物とキュリオの建物の在る場所は否応もなく境界線のようにはっきりと分かれていた。どうしてこの村に来た時に気づかなかったのだろう。
村の中で中心部から見晴らしのいい、しっかりした場所にはこぎれいで、深い地下に立派な建物が広がっていると想像できるような建物が並んでいる。
道路を挟んで、地上に中心部の屋根だけの建物群を取り囲むように立っている、今にも崩れそうな建物のどこかについさっき鉄彦が連れ込まれた半地下の建物があるのだろう。

「おいっ!」
「?!」

走り抜けていく少し汚れたシャツの腕を思い切り引き留められた。

「う゛ぁぁっ!」
「落ち着け!俺だよ!!」
「あっ!!」

息を切らせて肩を上下させる鉄彦が足を止めると、眉間に皺を寄せた森繁がそこに立っていた。

「どうしたんだよ!どこに行ってたんだよ」
「はぁっ……はぁっ……。なんで……」
「……いいから落ち着け」

膝に手をついて、苦しい呼吸が落ち着くのを待っていると、森繁がその背を強く擦った。
細切れについていた息が落ち着いてくると、今にも泣きそうな顔で鉄彦が顔を上げる。

「森繁っ!!でよう!ここ、俺、嫌だ!」
「ちょ、待てって!落ち着けよ」
「嫌だよ!もうやだ!」

森繁の両腕を掴んで叫んだ鉄彦を見て、森繁は何かを言いかけたがそのまま鉄彦の腕を掴んで歩き出した。

「~~~っ!」

声にならない泣き声をあげそうな鉄彦を連れて、ぐいぐいと歩いていくと、森繁はノクスの建物から出たところに置いていた荷物のもとに向かう。
大きな車がついた荷物と、ナップザックを担ぎ上げて歩き出す。途方に暮れた顔でそれを見ていた鉄彦は慌てて森繁が引っ張っていた荷物を掴むとしょんぼりと肩を落として歩き出した。

ふと人の気配を感じて振り返った鉄彦は、ノクスの建物の入り口に顔は見えないものの人がたくさん立っていることに気づいて、ぞっと震えあがる。

「な、なぁ……」
「振り返るな。行くぞ」
「でも、あれ……」
「俺達が気にすることはない」

言い切って歩き出した森繁は、変わらないまっすぐな背筋で歩いていく。それに遅れないように、鉄彦は慌てて後を追う。

暗い夜の闇は森繁にとっては暗くはないのだろうが、鉄彦には重苦しいほど粘りつくような闇に思えた。駐車場に戻ったところで、車に荷物を積み込む途中で森繁は、一つ一つ荷物をばらして積み込んだ。
それが鉄彦には、何かを確かめているようにも見えた。

「積んだか」
「う……、うん」
「よし。乗れ。出よう、ここを」

荷物を積み込んだ時に、後部座席に積んである寝袋の位置はずらしてある。運転席に回った森繁は、隣に鉄彦が乗り込んだのを確かめると、車のエンジンをかけた。
膝を抱えて隣に座っている鉄彦を乗せて、暗い夜の道を走った森繁は、途中に見つけた、潰れたレストハウスらしい建物の大きな駐車場に車を止める。長野を出た後、野宿をすることあるだろうと途中で支度を整えていた。

テントも、鉄彦の分の寝袋も、携帯用のガスコンロや煮炊きができるように一通り車には積み込んである。車を降りた森繁はうずくまったままの鉄彦をそのままにして、車のすぐそばにテントをたてた。
駐車場は、砂利と土でできていたから、土の平らな場所に周りを手ごろな握れる程度の石で囲んでコンロを置く。車とテントの間も、テントから幕を引いて屋根と壁を作ってある。

積み込んでいるタンクから水を汲んで湯を沸かし始めた。

投稿者 kogetsu

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です