僕らはそしてほろ苦いコーヒーを飲んだ 4

ノクスの街に案内された森繁は、なかなか先へと進ませてくれない坂内を半ば無視するように店を求めて歩き出した。
洒落た服に身を包んだノクス達が街の中を行き来しているところを森繁が歩いていくと、興味深々をとても品よくした視線があっという間に集まる。気になった森繁が視線を向ければ、悪びれることなくニコリと微笑み返してくるから、ひどく曖昧な笑みを返しながら案内図にあった店を目指して歩く。

曖昧に笑った森繁が軽い会釈をしながら店の近くまで行くと、後をついてきた坂内が急に森繁に追いついて回り込んだ。

「はいはい。お買物ですよね。その前に少しばかりお時間はありませんかね?」
「時間、ですか?いや、さっきも見ていたと思いますけど、連れがいますので」
「いやいや、買い物にお時間がかかったということもできますでしょ」

そんな言い訳が通じるはずもないのに、目の前に立った坂内は強引に森繁の腕を掴むと入りかけた食料品の店の数件先へと連れて行こうとする。
買い物をするつもりだけで店を探していたから、その先に在る店がどんなだったか、うるおぼえだったが、頭の中で案内図を思い描いているうちに、店の前にたどり着いてしまう。
店には、それぞれ看板があるので何の店かすぐにわかる。

「ちょっ……!どういうことですか」
「これもノクスの務め。この狭い村だけではマッチングもそうは続きません。幸いなことに、この村にはよその街から研修と言うことで多くの方がいらっしゃいます」

よその街から来た人々は、必ずこの村の人々と交わるらしい。ただでさえ、出生率の下がったノクスにとって、それはほぼ義務と言える。
狭い村の中でさらに確率を下げるよりも、こうして新しい外の血を入れようというのだ。

「冗談じゃない、自分はそんなことはできません。それにこの村に登録はないので強制はできないはずです」

元々住んでいた長野では、森繁も成年と同時に遺伝子登録を済ませている。血液型など基本情報は生まれた時、またはノクスになった時点で登録されるが、遺伝子情報は成年になってからと決まっていた。

遺伝子情報の登録をした街では、パートナー以外とも決まった回数は義務である。

だが、旅をしてきた森繁にはそんな義務も義理もなかった。

「そうでしょう、そうでしょう。ですが、この村はノクスを象徴する素晴らしく発達した村なのですよ。誰も争わず、ノクスらしく生活し、他の街とも交流を図っている。こんな山間の小さな村でありながら最新の施設も情報も揃っているのです」

ノクスの中でも高位の人々がいて、血統も申し分ないものしかいないのだという。

知らず知らずのうちに口元を押さえた森繁は、もう片方の腕でかつて切り落としたはずの手首を握りしめた。

「……冗談じゃない」
「は?」
「ごめんです。自分は協力できません」

簡潔にそう告げると、踵を返して引き留めようとする坂内の声を聞こうともせずに、足元だけを見つめて先ほどの食料品店に向かった。

店に入ると確かに、こんな村にしては豊富すぎるほどの品ぞろえで店の中はにぎわっている。カートを引いて、めぼしいものと、目についた甘い香りのなかなか珍しいコーヒーと、水やあれこれを次々と放り込んだ。

店の中には入ってこなかったが、店を出たところには坂内がおそらく待っているだろう。

胸の内をざらりとした不快感が襲う。まるで強い風に乗って飛んできたざらついた砂が表面を覆ってしまうようだ。

会計を済ませる際に、森繁はさりげなく自分の身分証をレジ打ちに見えるように財布を開いた。
鉄彦のいた八区の通行管理を行っていた森繁は一応、身分的には公的な立場に所属していた。もちろん、ノクスの中ではずっと落ちこぼれだった森繁ではあるが、彼らの様な人々にはこの身分証は役に立つはずだった。

「……」
「……どうも」

無言ではあったが、確かに森繁の思惑は外れなかったようで、疑いの目を向けていたレジ打ちは確かにその身分証を見たようで、渋ることもなくスムーズに会計を済ませることができた。

ちょうどいいと買った小さ目のキャリーと、ナップザックに買ったものを詰め込んで、勢いをつけて店を出た森繁は、ぞっとして足を止めた。

「お待ちしてました。こちらはこの村の村長でナカノマです。それからこちらが副村長のフジマノ、それから行政局局長の梶取、それから……」

店の前にずらりと並んだ紳士たちは、皆同じような服装で、同じような笑みを浮かべて坂内に紹介されるごとに森繁に向かって手を差し出してきた。

「あ、どうも……」
「ようこそ。ちょうど今の時期はどの街の皆さんも冬場はおいでになるのを控えるのでちょうどよかった」

次々と、挨拶と口上と共に手を握られた森繁は、早々にここを立ち去るべきだという意思を固めた。

「わざわざのご挨拶恐縮です。ですが、自分は買い物させていただけただけで十分なんです。連れもおりますので、これで失礼しようと思っています」
「なんと。案内役が何かお気召さないことでも?」

笑みを浮かべながらも退去することを告げた森繁に、目は決して笑っていなかった村長が後ろに控えた坂内をじろりと見る。
頭を下げた坂内が一回りくらい小さくなった気がして、森繁は首を振った。

「いえ、そうではありません。元々、自分と連れは買い物ができれば十分でしたので。本当に、どうもお騒がせしました。失礼します」

きっぱりとそう告げると、キャリーを引いて、ナップザックを背負った姿で来た道を戻り始める。

無言でその後をぞろぞろと彼らがついて歩く。しばらくはそれも見ないふりで歩いていた森繁は、最後の坂を上がる手前で振り返った。

「もうここで結構です。大変助かりました。それでは」

森繁が頭を下げるのを無言で見守る人々を背に、森繁は一人で初めに立ち寄った案内所の近くまで歩いて行った。鉄彦のことだから車に戻っているとは限らないと思った森繁は一度、人通りが全くないことをみて、一度荷物をその場に置いて、見える範囲を歩き出したのだ。

小さな携帯用コンロの上で、湯が沸き始めると、買ってきた荷物の中からコーヒー豆を取り出した。コンロの傍に胡坐をかいて腰を下ろすと、同じように携帯用の食器が入ったバスケットの中から皿を一枚取り出して、豆を乗せる。
潰れた豆を選り分けてきれいなものだけを片手で握れるミルに入れた。ガリガリと音をさせてコーヒーを引く。

甘い香りが広がって、湯を注いだ時の香りを想像させる。

ペーパードリップを用意して、二つのカップの分のコーヒーを入れた。

二つのカップを置いて、車の中の鉄彦を呼びに行こうとした森繁は、人の気配を感じて、真っ暗な道路の方を振り返った。
人の足音が近づいてきて、森繁の目にははっきりと背の低い、薄汚れた格好のキュリオが見えた。

「……鉄彦、の連れか」
「そうだけど……。君は?」
「渋井。さっき、鉄彦と話した」

車の外の声に顔を上げた鉄彦は、ドアを開けて表に出る。

「森繁?誰かいる……!お前、さっきの!」
「鉄彦!!俺、ずっと走って、鉄彦たちの後、追っかけてきたんだ!きっと道は一本道だから寄るならここだと思ったし」

そう言って、鉄彦の方へと駆け寄ってきた渋井は、暗闇に火を傍にしている森繁には距離をとりながら鉄彦に向かってその場で地面に膝を着いた。

投稿者 kogetsu

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