「で?本当になんなんですか。わざわざこんなところに移動して」
厚生棟まで移動して、コーヒーショップで向かい合っている。コーヒーは比嘉のおごりだ。街の中の店と変わりない内装のふんわりした二人席のソファで向き合う。
広報室にいた時と比べて一回りも小さくなったような姿で比嘉は背中を丸めていた。
待ちきれなくて焦れたリカがぱしぱしとテーブルを軽く叩いた。
「比嘉さん!」
「はい!あの、……ほかの皆にはなかなか……稲葉さん、お一人の胸に収めていただきたいんですが……」
「わかってますから、さっさと言ってください」
ぴしゃりと遮ったリカにしゅん、と項垂れた比嘉が上目使いに顔をちらちらとうかがってくる。
はなからこれは仕事の話ではないと言い切られていたのもあって、リカも素で応対していたが、どうにも比嘉の様子はおかしかった。
しばらくコーヒーのカップを握りしめた後、ようやく気持ちを固めたのか、比嘉は丸めていた背筋を伸ばして顔を上げた。
「先日の写真の件は、ネガまでお渡しできなくて申し訳ありません」
「え……、ああ……」
そんなことで、と拍子抜けしたリカがあれはもう、と口の中でもぐもぐと答えると、表情を改めた比嘉は今までとは間逆に身を乗り出した。
「私、稲葉さんはいくらご夫婦とはいえ空井一尉に何でも話されるとは思ってはいません」
「はぁ……それはもちろん」
「ほかの皆さんにはそんなことはないのかもしれないんですが……」
一度話すと決めた比嘉の勢いは、リカの予想を大きく超えた。
僕はね。先日の片山さんの一件もそうですけど、みんなのことは常に気にかけてるんですよ。
一緒に広報室にいた時とは、もう違うんですけどね。もちろんわかってますよ?今の広報室のメンバーも決して仲が悪いなんてことはないんですけど、やはり、あの時、あの瞬間のチーム感って言うんですかね。それはやっぱり僕にとっても特別なんですよね。
でも、結局思ったんです。
皆さん、何かあったときに、頼りにするのは鷺坂室長じゃないですか。
え?なんで急にそんなことを言い出したのかって?それはですね……。
時に聞き役に徹することにも慣れているはずのリカだが、さすがにどう反応していいのか迷いながらの時間は、一時間と少し。
ひたすら、比嘉がしゃべり通すのを頷きながら聞き続けた。
正直、家に帰ってから、何度か大祐に話そうかと思わなかったわけではない。だが、結局、信頼して話してくれた比嘉のことを裏切るようなことはできなかった。
「……比嘉さんに限ってって思ってる?」
「え?あー……」
しばらく考えてから慎重に口を開いたリカに、大祐は上げていた箸をそのまま口に運んでから一旦、手を止めた。
「……うーん。比嘉さんがうっかりすることもあると思うんだけど、それにしても俺、何で変だって思ったんだろうなって今考えてみたんだ。そしたら、そういえばここんとこ、比嘉さん、少し元気がなかった気がしてだからかなーって……」
「そっかぁ……」
「でも、何でそう思ったの?」
問い返されて、今度はリカが答える番だ。どう答えるべきか考え込んだ後、ただ笑って首を振った。
「理由なんてない。だって、比嘉さんだって、そういう時もあるかなぁってくらいかなあ」
「ふーん……。まあ、そうか。そうだよね。比嘉さんだって、そんな時もあるか……」
首をひねりながらも、大祐はその答えに納得したようだった。
それからしばらくして、リカは鷺坂に連絡を取った。
特番のスケジュールは大祐達とも共有されて、着々と話は進んでいるらしい。
あちこち、フットワーク軽く、動き回る鷺坂を東京で捕まえるのは、意外と手間がかかる。都内に戻るタイミングで鷺坂にひそかに会うことができたのは、阿久津を経由してスケジュールを押さえたからだ。
リカよりも先に店についていた鷺坂は、待たせたことを詫びて腰を下ろしたリカにひらひらと手を振った。
「わざわざ、あっくんの名前で連絡してくるから何かと思ったよ。稲ぴょんのお誘いならいくらでもデートするけどね?今日は、空井にも内緒?」
りん串でもなく、いつも行きつけのバーでもなく、少し帝都に近い和食の店で向かい合う。
場所が場所だけに、鷺坂も久しぶりのジャケットを身につけていた。ノーネクタイではあるが、スマートな姿の鷺坂はさりげなくテーブルの上に両腕を組んで、店員を呼ぶ。
「稲ぴょん、とりあえずビール?」
「あ、はい」
「んじゃ、後は適当に」
いくつか先に鷺坂が頼んでいたものと運ばれてきたビールとお通しが並ぶと、ひとまずは、とグラスを合わせた。
「お疲れ様」
「お疲れ様です」
白く水滴がビールジョッキを濁らせて、冷たさが見ているだけでもわかる。
それぞれ、一口飲んでから、顔を見合わせた。
「んで、どうしたの?稲ぴょんが、空井にも内緒で俺に会いたいなんて、夫婦喧嘩でもした?」
そんなことはないとわかっているのだろうが、からかうような口調にリカはじろりと睨んでおいて、ジョッキから手を離した。
「違います。さすがにそろそろご心配かけないようにこれでも気をつけてるんです。今日はそういう話じゃなくて、比嘉さんのことなんです」
「比嘉?比嘉がどうかした?」
すっと笑みが引いて眉間に皺がよった。あまり深刻にはならないように気をつけながら比嘉と先日話した内容を鷺坂に話した。
「ふうん。なるほどね。比嘉ちゃんらしくないけど、ちょっと疲れちゃったかな?」
話を聞き終えて、状況を理解した鷺坂は、お通しとして出てきたくらげの小鉢に箸を伸ばした。
比嘉の話をざっとまとめると、片山や空井、それに最近では藤枝の話などもあって、バイプレイヤーポジションの比嘉はアンテナを張って、そのスペックを発揮していたわけだ。
そのおかげでというべきか、何かがあっても、すぐにお互いの様子を気にかけるくらいのネットワークは今も健在である。
「確かに、比嘉ちゃん以外はみんなまだまだ甘いからねぇ」
「……甘い、ですか」
「そ。もう広報官じゃないやつも多いけど、やっぱり根本には同じものがあると思うんだよね。そういう何かを俺は一緒に働いていたときに、彼らに教えたと思うし、伝わったと思うよ?」
ふうむ、と頷いたリカは、詐欺師鷺坂、といわれながらもそのもって行き方になるほどと何度、感心しただろうか。
場が育てるのだといった鷺坂の言葉は、今もリカが働いているときにも生かされている。
「でも、確かに、思うんです。皆、いて当たり前というか、比嘉さんはいつもしっかりしているし、頼りにしている分、比嘉さんのことは皆、心配することはなかったんじゃないかなと」
比嘉を中心に、何かあれば連絡を取り合っていたが、比嘉のことを気にかけるということは少ないような気がする。少し離れたところから彼らを見ているリカには、そんな風にも見えなくもない。
「比嘉さんは、皆さんが自分のことなど気にかけてさえいないと。都合がいいときにだけ連絡が来るけど、皆、比嘉さんのことはどうでもいいと思ってるんじゃないかってすごく寂しそうにされてて……」
「ふうん。それはあれだね。佳代ちゃんが今、仕事で海外に行ってるからだろうなぁ」
困ったものだ、という顔で両肘をついた鷺坂は、らしくないという比嘉の様子を思い浮かべて呟いた。