一体、比嘉がどんな話を佳代子にしているのだろうと思う。空井の慌てぶりもおかしかったが、目の前の二人のなれ初めにも気になる。
「お二人はどうやって知り合ったんですか?」
「僕が、就職活動に失敗してっていうのは以前お話しましたよね。その時に、アルバイトをしていてその時に」
「この人、本当はうちの父に、正社員にならないかって言われてたくらいベテランのアルバイトだったんです。でも、就職が決まったので、ってあっさりやめちゃって。私はもともと、跡取り娘って言っても、自分じゃなくて、誰か相手が後を継いで、私は家に入るものだと父に思われてたんですね。でも、時々手伝いをするうちに面白くなっちゃって、どうしたら父を説得できるかなって思って、仕事を覚えることにしたんです」
比嘉が先に口を開いて、佳代子が後を引き取る。
仕事の相談を比嘉にしているうちに、付き合うようになり、結婚に至った。本当なら、比嘉は今でも普通に働けるくらい詳しいのだという。
「でも、僕はもう仕事ではないので、って言って絶対に手を出さないんです。それが、ちゃんと仕事をしている人に対しての僕なりの決め事ですって言われたら、もうどうしようもないじゃないですか。だから、私も元々の日本酒造りもしながら、ずっと新しいものを作りますって宣言したんです」
だから、こういうのは私から哲さんへのラブレターなの。
躊躇いもなく、口にする佳代子と比嘉がすごく素敵で、リカはしみじみと呟いた。
「お二人、すごく素敵ですね」
空井も一緒になって頷くと、比嘉は悪戯っぽく笑って、空井一尉と稲葉さんだけの秘密にしておいてください、と言った。
「片山さんに知られたら、大変ですし」
「ああ。なんか幹部の俺を差し置いてとか言いそう」
頷き合った比嘉と空井を見て、佳代子とリカがくすくすと笑いだす。
「そんな感じの方なんですか?……って、あ、稲葉さんはご存じないですよね」
「いえ、私も取材で広報室の方へ出入りさせていただいていますが、そういう感じの、やんちゃな方ですね」
きり、と真顔になったリカの話を聞いて、嬉しそうに笑う。
内緒話をするように、佳代子は口元に手を当てた。
「哲さん、いろんな話をしてくれるんですけど、やっぱり守秘義務もあるからなかなか口が堅くて。私、そういうお話聞くの、大好きなんです」
「僕、広報室の面々の話はよくしてますよ。皆さん、すごくいい方ばかりで、働き甲斐のある職場です。もちろん、稲葉さんの事もちょこっと」
指先で少し、と見せても、比嘉の独特の笑顔を見ると、リカは少しだけ身を引いて斜めに視線を向ける。
この温和な顔に何度、謀られただろう。
「比嘉さん。どうせ、私の事なんてガツガツとか言ってたんじゃないんですか?」
「そんなことはないですよ。まあ、ものすごく、仕事のできる人だとは。でなきゃ稲葉さんの取材、お受けしてません」
「それは光栄です。ありがとうございます」
お互いに、にやりと笑いながら頭を下げあう。その間も、他の従業員が対応しているが、車で乗り付けてくる客が後を絶たない。
その人気ぶりがわかったところで、邪魔にならないようにと話を切り上げることにした。
「じゃあ、お邪魔になりますからそろそろ……。本日はありがとうございました。またご連絡させていただきます」
「はい。こちらこそありがとうございます。よろしくお願いいたします」
起ち上がって、挨拶を交わした後、空井が先に出て車のところに向かう。エンジンをかけて車の向きを反転させたところで、見送りに出た比嘉と佳代子に紙袋を二つ渡された。
「これ、空井二尉と一緒に。お土産です。こっちはさっき飲んでいただいた炭酸のやつで、空井二尉のほうがまた違う種類のお酒なので、よかったら二人で冷やして飲み比べてください」
「あっ、はい。いや、え、と、はい……」
“二人で”
そう言われて、咄嗟に反応できなくてしどろもどろになってしまう。二人で冷やしたお酒を味わう、というのはどういう状況だと突っ込みたかったが、車を回してくれた空井を振り返ると、中からドアを開けられてしまう。
「あ、あのっ、比嘉さんからこれ……」
「え、あ。すみません。比嘉さん」
「いえ、空井二尉。稲葉さんを送り届けるところまで、しっかりお願いします」
「承知しました」
どうぞ、稲葉さん、と促されてしまえば乗るしかない。
とりあえず、二人で、のくだりは受け流すことにして、リカは車に乗り込んだ。車の中からも手を振って見送る比嘉と佳代子に頭を下げて、車は走り出す。
「お疲れ様でした。稲葉さん」
「こちらこそ、ありがとうございました。おかげさまでいい取材になりました」
車を回す間に、カーナビを操作していたから、リカの家までナビが案内をはじめていた。ちらりと運転席の空井がリカを振り返る。
「稲葉さん。眠くなったら寝ちゃっていいですからね。帰りもやっぱり時間かかりそうですし」
「ああ、いえ。そんな、空井さんに運転させておいて、そんなことできません」
「いえ、気にしないでください。バックも後ろに置いちゃっていいですよ」
「あ、はい。ありがとうございます」
たいして入っていないバックだし、慣れているからそれほど重くも感じないのだが、じゃあ、と後部座席にバックをおいた。
「あ。比嘉さんがお土産にくれたやつ、私の方にはさっきの炭酸のやつが入ってて、空井さんの方には違うお酒が入ってるそうですよ」
「あ、そうなんですか?嬉しいな」
単純に、喜んだ空井に、一応、比嘉の一言を付け加えた。
「……ふ、二人で飲み比べてみたらどうかって……」
「え……」
「あ、いや、あの、私は炭酸の奴、先ほどいただいたので、空井さんどうぞ!私の分も持って行ってください。今日、空井さんは運転があるからお酒飲めなかったですよね」
変な意味にとられただろうか。
空井の反応が怖くて、慌てて、言いかえた後、膝の上に抱えるものがなくて、行き場のない手を膝の上で握りしめた。
ステアリングから片手を離して、口元に拳を当てた空井は、気持ちと感覚のほとんどを向けて助手席のリカの様子を手繰った。
二人で飲み比べと言ったのは、比嘉の気配りなんじゃないかなという気はした。空井にとってはありがたかったが、リカがそれをどう思って口にしたのだろうか。
一度は飲みに行くことに成功したものの、それっきり、二人で食事をするなんて機会がそうそうあるわけじゃない。
結局は、そんな程度でしかないのかと思っていたところに、今日の取材である。まるで、デートのように過ごした1日は、空井自身、随分舞い上がっていた気がする。
―― 舞い上がっているなら、踏み込んでみようか……
「あの、稲葉さんさえよかったら、一緒に飲みませんか?だって、僕がもらった方は違うお酒なんでしょ?」
「えっ」
「僕も、稲葉さんが飲んでた炭酸の方のお酒、飲んでみたいですし、一緒に飲んだらいいんじゃないかな」
運転中の大祐からはよく見えなかったから、気配だけでは分からなかったが、さぁっとリカの頬に朱が走った。
「一緒にって……」
「そっか。冷やさなきゃいけないんでしたね。稲葉さん、明日はお休みですよね?」
「ええ」
二人で飲みましょう、といってもまた今度と言ってしまえば、次に実現できるのかどうかも分からない。
気持ちの分だけ、ほんの少しアクセルを踏み込む。
「僕、この後、僕の家か、稲葉さんの家で冷やして飲みませんか」
「え?!あの、その、でも、空井さん。車だし……」
「稲葉さんちのほうがよければ、僕、近くに車置きますよ。有料駐車場くらいあるだろうし、後は、車の中で寝て、朝起きたら帰ればいいし、僕の家だったら、稲葉さんは電車でちゃんとお送りしますから」
どっちがいいですか?
突きつけられた選択肢に、リカは握りしめた手に力が入る。
―― そんな究極の選択みたいなの、ありなの?!
「稲葉さん?」
「う……、あ、はいっ」
どうしよう、と頭の中でぐるぐるした挙句、女は度胸だよね!と自分に言い聞かせたリカは、口を開いた。