「空井さん!もう一つの!女性向けだって比嘉さんが言ってた方、飲みましょう!」
急に動いたリカについて行けず、リカの方へと少しだけ近づいていた距離から飛びのいてしまう。
呆気にとられてリカを見送った大祐は、目の前の日本酒に手を伸ばして、くいとグラスをあけた。
「冷たいから、きっと大丈夫だと思うんですけど……」
瓶の外側があっという間に白くなる。こちらは冷やしていないショットグラスをもう一組持ってきて、空井の目の前でキャップを回そうとしていると、すっと大きな手が瓶を持っていく。
ぱきっと小気味いい音をさせてキャップを外すと、二つのグラスに注ぐ。ちん、ともう一度グラスを合わせると空井が先に口に運んだ。
シャーベットが溶けかけたような、そんな感覚が口の中から喉に流れる間に、溶けてなくなって、フルーティな香りだけが口のなかに残る。
「うわ……」
「どうですか?」
「確かに、女性向けなんでしょうけど、なんだろう。これ。すごい、稲葉さんみたいな」
強い印象で向かってきて、今は柔らかくなって、優しい女性らしさだけが目につく。
「私みたいってなんですか、それ」
飲み物のたとえにしたからなのか、どうなのかはわからないが、なんだか妙な顔をしながらもリカも二度目の酒に口を付けた。
「あ……っ」
―― なんて声出すんですか……っ
その顔を見ていると、さっき自分が体験したように口に入った瞬間、シャーベットのような冷たさが喉を溶けながら流れていくのが見えるようだ。
慌てて視線を逸らした空井は、グラスに残っていた分を一口で飲んでしまうと、瓶からおかわりを注いでグイッと飲み干す。
「ふふ、空井さんもはまりましたね?今度、比嘉さんから通販できないか聞いてみようかな」
鼻歌でも歌いそうな上機嫌でリカは自分のグラスよりも空井に酒を勧める。
気が付けば、二人で飲んだ時以上に飲んで、小さなことからくだらないことまで延々しゃべり倒していた。
「だって!空井さん、手、きれいですよね!手タレできそう!」
「こんなでかい手が役に立つんですか?言うほどきれいじゃないし。ほら。ほらほら」
リカの目の前に掌を差し出すと、両手で空井の手を掴んだリカがじいっと掌をまじまじと見つめてくる。
「……やっぱりきれいです。うん。この、手首のところからずっと」
さわっと撫でられて、リカの手が手首から掌を何度も往復する。
―― これ、無意識なんだろうなあ。こんなにガード低くて、ほかの男なんかイチコロだと思うんだけどなぁ
ぼんやりとされるがままになっていた空井はそんなことを考えながら、上から見たリカのまつ毛が長くて、きれいだなと思う。
このまま、リカの手を掴んで、頬に手を添えて。
はっと我に返った空井は、慌てて手を引いた。
「空井さん?あ……、ごめんなさい。嫌ですよね。男性が、手がきれいだって触られたって」
「いや!!そうじゃなくて大丈夫なんですけど!それより、これ、ちょっとかたずけますね!」
その場を離れるためにビールの缶と日本酒の瓶を持って立ち上がる。キッチンに向かって軽く中をゆすぐと、近くにあったダストボックスを覗き込んで缶だけは握りつぶして放り込む。
「稲葉さん、瓶、どこに置いたらいいですか?」
声をかけたリカから返事がないことに振り返った空井は、テーブルに腕を突いて頭を乗せているリカに近づいた。
「稲葉さん。大丈夫ですか?お水、持ってきましょうか」
「ん……、ちょっと、……はい」
眠いのか、気持ちが悪くなったのか、目を閉じているリカに冷たい水を持ってくる。ことん、とテーブルにマグカップを置いた空井は、そっとリカの肩に手を置く。
初めにビールを飲んだと言っても、それから日本酒を飲んで、それからまたビールに戻っている。今頃になって急に酒が回ってきたのだろう。
「稲葉さん。お水、持ってきましたよ?大丈夫ですか」
「ん……。はい……」
空井の手を縋る様に掴んだリカが無理矢理頭を上げて水を飲む。
「稲葉さん、もうそろそろ休んだ方がいいですよ。僕は、車に行って酔いが醒めたら帰りますから」
「そらいさん」
もたもたした口調で顔を上げたリカが、真っ赤な目のまま空井を見上げた。
「車より、まだ、このソファの方がましじゃないですか」
「え?」
「私、ちょっと、お酒、醒めるまで休みますけど、空井さん、帰らないで、ここのソファ、使ってください」
テーブルに手をついて立ち上がろうとしたリカがぐらっと倒れかけたところを空井が抱き留める。しかたがないと、抱き上げた空井は部屋の奥にあるベッドへとリカを運んだ。
片腕でリカを支えながら、ベッドをはぐって片足で支えたリカの体をベッドに柔らかく着地させるのが精一杯だった。
酔っぱらった体は誰でも重く感じる。
「稲葉さん、僕は帰りますから。鍵、締めてポストに」
入れておきます。
そう言うはずだった空井の手をリカが掴んだ。
「だめ。おきたらそらいさんがいないのはさみしいから……だめです」
精一杯それだけを言うと、リカは再び目を閉じて、苦しそうに息を吐いた。
少し、酔いすぎているリカをそのまま置いていくのも心配で、空井はテーブルの上のグラスと酒を片付ける。冷たい水を用意して、ベッドサイドに置くと眠ってしまったらしいリカの髪をそっと撫でた。
―― このまま、置いて帰らなきゃいけないと思っていたのに、引き留められたらそれを口実にしたくなるじゃないですか
酔っぱらっているリカを、置いてはいけない。そんな口実で、空井は部屋の明かりを小さくすると、ソファに寄り掛かって腕を組んだ。
そこにいる人の気配をこんなに近く感じていることが幸福なのか、切ないと言えばいいのかわからない。
空井は、リカの気配に包まれて目を閉じた。