夕焼けの朱と夕闇の藍 2

「稲葉ねぇ。あんた、こんな飛行機馬鹿に女子のネイルがどーとかこーとかわかるわけないじゃん」
「いや、わかりますよ?わかりますけど、女の人って大変だなぁって言うか……」

しゃべっているうちに、ここには女性が、しかも女性扱いされることを極端に嫌う女子二名がいるんだったと我に返る。

「まあ、今のは微妙に気になりますけど、とにかくそういうネイルで爪を保護してるんです」
「稲葉さん、爪弱いんですか?」
「……普通ですけど。そろそろ離していただけないでしょうか」
「へ?……わぁぁっ!!」

飛び上がって手を離した空井が応接の椅子から慌てて立ち上がって、危うく後ろのキャビネットにぶつかりそうになる。無意識にずっとリカの手を握っていたことに今更ながら赤くなった空井が、90度に体を曲げて頭を下げた。

「す、すみません!!つい、きれいだなって思ったら……」
「いえ、あの!いいですから、座ってください!」

ちら、ちらっとリカが気まずそうに視線を向けていることに気づいて、振り返ると広報室の面々が生暖かい笑みを浮かべて頷いていた。舌打ちしたいような気持で、慌てて腰を下ろす。

「すみません……」
「いえ……。とにかく、そういう特集をやってまして、女性スタッフが何人か実験台になって爪を塗ったんですよ」
「そういうこともしなくちゃいけないんですね」
「そうですねぇ。食べ物の特集だったら、スタッフ総出で同じ物食べたり。あ、前にあの天使のマークのついたお菓子。あれがどのくらいの確率で当たるのかっていう特集をしたことがあって、あの時は、都内各地で箱買いできるお店を回って2700個集めたんです」

くるくると忙しなく動くリカの目をじっと見つめながら、現実的ではない数字に戸惑った空井は、そのまま数字だけを繰り返す。それはそうだろう、とリカも頷いて、その時のことを思いだしながら箱を開く真似をして見せる。

「はぁ……」
「で、一斉に箱あけて金と銀の天使が出てくるかってみんなでチェックして。終わったらみんなで分けて食べたんですけど、もういくら食べても食べてもフロアに山積みになってて大変でした。もうしばらくチョコは見たくなくなるくらい」

2700個、と口のなかで呟くが、その数が全く想像できない。普段店で見かけるサイズはたばこよりもまだ小さいくらいだから、それが10個か20個かで1パックだろう。
ふるふるっと首を振った空井はため息をついた。

「すごいですね。まったくその数が想像できないです。でも、そんなにあるなら、こう……配ったりとか」
「いえ、配るには未開封でないと何があるかわかりませんから駄目なんです。ですから、処分するにも範囲が絞られてて」
「あっ……、そうですよね。大変だなぁ」

ぽりぽりと頭を掻いている空井に、リカが申し訳なさそうに書類を差し出した。いつまでも脱線した話をしているわけにはいかない。

「あの、それでですね」
「あっ、はい」
「この機材なんですけど……」

仕事の話に戻ったものの、いつまでも空井の視線はリカの指先に意識が向いていた。

―― やっぱり、稲葉さんの手って……、細くて女性らしくてきれいだなぁ

「空井さん、聞いてます?」
「あっ!はい、聞いてます。えーと……」

慌てて机の上の資料に戻っても、近い場所からふわっと香るリカの香りに気を取られてしまって、妙に今日は浮ついてしまってどうしようもなかった。

「じゃあ、失礼します」
「はい。お疲れ様でした」

エレベータホールまでリカを送った空井が自分の席に戻ると、隣から向き直った比嘉が、にこっとメモを差し出した。

「空井二尉」
「はい」
「これ、うちの実家の住所です。お休みのところ、申し訳ありませんがよろしくお願いします」

差し出された比嘉の奥さんの実家の住所を受け取る。
住所だけではよくわからなくて、ちょっと待ってくださいね、と言ってパソコンで地図を確認した。空井の家からリカの家に迎えに行って、それから大回りになるが比嘉の実家に向かうルートをいくつかのパターンでドライブマップがはじき出してくれる。

「……へぇ。さすがですね」
「え?」
「一度しか行ってないはずの稲葉さんの家を覚えてるなんて、さすがだなぁと思いまして」

空井のモニターを覗き込んだ、比嘉のにこやかな笑みが怖い。
柚木とリカが酔っぱらってしまったあの時に、一度だけ送っていったリカの家を、地図やストリートビューで何度も見たことを、まさか知られているのかと、どぎまぎしてしまう。視線を彷徨わせた挙句、大きく息を吸い込んでおいて、いたって普通の声で答える。

「駅から近かったので、たまたま覚えやすかっただけですよ。ほんと、わかりやすかったんで。それだけです」
「そうですね」

同意しているのに、にっこりと微笑んだ比嘉の顔にはありありと、それだけじゃないだろう、と突っ込みの文句が浮かんでいて、意地でもばれないように目に力を入れる。
ふるふると首をふって全力で否定しても比嘉の笑顔は少しも崩れなかった。空井のマウスを勝手に動かして、こまなければ最短で到着するはずのルートを示す。

「じゃあ、このルートだと、ここのところまではいつも渋滞がすごいので、お昼前に稲葉さんを拾って、時間調整しながらいらしてください。そうだな、1400くらいでいかがでしょうか」
「はい。承知しました」
「遅れる分には構いませんから、稲葉さんとお昼でも召し上がっていらしてくださいね」

―― お昼……ですか

放っておいても口元が緩んでくるのをなんとか知られないように引き締めながら、はい、とだけ答えた。

投稿者 kogetsu

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