「稲葉さん、この少し先にファミレスとかお店があるみたいですよ。何か食べたいもの決まりました?」
「あ、はいっ。えーと」
「あ、ナビ動かしちゃっても大丈夫ですよ。こうやって……」
目的地は登録してあるから現在地から先の情報を見るためにマップを動かすこともできる。指先でナビの画面を触って、マップに映し出される情報を見られるようにすると、街道沿いなのか道路わきには有名がチェーン店から地元だけの店などもあるらしい。
ぽつぽつと並ぶ店の表示を見ている間に、どんどん距離が近づいて行ってしまう。
「あ、あ、もう、なんでもいいですよ。空井さんの好きなもので!」
「今、やけくそになりました?はは、意外だな。稲葉さんがカーナビなんかの操作にもたつくなんて」
「だって、免許も持ってませんし、普段はドライバー任せなので、あまり使ったことないんです」
焦るリカが可愛くて、ついつい口元に笑みが浮かんだ空井は、リカの手を掴むと、指先をカーナビに当てた。
「こうやってマップの先の方をタップするだけですよ。簡単なのにな。しかもやけくそでなんでもいいって言われても、稲葉さんをその辺のチェーン店に連れて行くのもなんですし」
「だから、社食ではカレーなんですってば。その話に戻ります?」
あ、そうだった、と呟いた空井は、素早く両サイドに立ち並ぶ店を見ながら、イタリアンの店を見つけると、片腕を動かしてウィンカーを上げた。
「勝手ですけど、イタリアンぽいお店なので、ここにしてみますね」
「はい。もう、なんでも」
くく、っとまだ笑っている空井を恨めしく思っている間に、きれいにハンドルを切った車は街道沿いのレストランに入る。キッとサイドブレーキを引いた空井にお疲れ様でした、と言われて、リカはほうっとため息をついた。
「はい、お疲れ様です。運転ありがとうございます」
「いえいえ。行きましょうか」
シートベルトを外して、車を降りると冷たい風が吹いてきて思いきり煽られる。ふわっと風が止まったと思ったら、空井が目の前に立って片腕で支えていた。
「大丈夫ですか?ちょっと、風強いですよね、今日」
「……ありがとうございます」
「さ、行きましょう」
するっと、ごく自然にリカの手を握った空井に連れられて、店に入る。
雰囲気のいいこじんまりした店に入ると、窓際の席に案内されて、イタリアンらしく小さ目の丸テーブルに向かい合った途端、プライベート感がいっぱいでなんだか恥ずかしくなった。
「このお店、可愛い。テーブルもこれ、タイルかな可愛いし、いいかも」
「稲葉さん、稲葉さん」
「あ、すみません」
「いえ、いいんですけどね。仕事のことは少しだけ忘れて、空腹の方を思い出してください」
一つだけのメニューを横にして、二人で覗き込むのもカップルのようで、リカだけでなく空井も照れくさくなる。
「……って、俺もなんか……。こういう女性とくるような店に入ったことなんか、少ないんで照れくさいですけどね」
「そうなんですか?だって、空井さんがイタリアンっていうからてっきり、好きでよく行かれてるのかと思いました」
「そんなわけないですよ!だって、格好悪いですけど、いまだってこのどんなのか下に書いてなかったら何が何だかわからないですよ」
ひどく、情けなさそうな顔になった空井が、悪戯に失敗した子供のような顔に見えてくすっと笑ってしまった。
「じゃあ、私が選んでもいいですか?」
お願いします、と頭を下げる空井が可愛くなってきて、頷いたリカは少し考えてから嫌いなものはないですか、と聞いた。
「空井さん、何でも召し上がるっておっしゃってましたけど、あえて、こういう味は駄目とか、クリームっぽいのが駄目とか」
「んー……、そうですね。ええと、あまり変わった味とか、混ざった味は苦手かもしれないです」
「子供味覚でしたね」
「はい。……って、それ突っ込みますか」
「ええ」
くすくすと笑いながら、前菜にロメインレタスのサラダ、パスタとリゾットを頼んでワイングラスのような大振りのグラスに注がれた水を口にする。
「比嘉さんの奥様って、空井さん。会われたことあるんですか?」
「いえ、僕も初めてです。お酒はいただいたことあるんですけど」
「そうなんですか。関東でも日本酒を作ってるところって意外と結構あるんですよね。私、今回、調べて初めて知りました」
向き合った状態が恥ずかしいのもあって、今日の取材の目的についてリカは話し始めた。
得意の、と言うべきか、仕事の話であれば、間を気にしなくても済む。
「私、そんなに日本酒って得意じゃないんですけど、広報室の皆さんはやっぱり飲まれるんですか?」
「いや、そんなことはないですね。ビールから初めて、ほとんどりん串なんで、焼酎だったり、水割りだったり皆、好き好きです。たまに鷺坂室長と比嘉さんが日本酒を飲んでるくらいかな?」
「へぇ。やっぱり、焼酎とかビールは割と飲みやすいですけど、日本酒って、美味しいのを教えてもらって飲みたくなりますよね」
一方的に話していて、つまらないんじゃないか。そんな風にリカが心配し始めたのを汲み取ったように、運ばれてきたパスタを取り皿にシェアしていた空井が口を開く。
「でも、日本酒って美容にいいんですか?そんなことをおっしゃってましたよね」
「あ、そうなんです。CMで酵母がいいとかいう化粧品とか見たことありませんか?あんな感じで、お風呂に日本酒を入れるといいとか色々あるんです。洗顔とか」
「へーえ。女性って色々あって大変なのかもしれませんけど、楽しいですね。そういうの」
―― 楽しい?
思いがけない感想に、一拍止まってしまったリカを見て、空井の方が慌ててしまう。
「すみません。僕、なにか変なこといいました?」
「あ、いえ!そういうわけじゃなくて、楽しいって言われたので、ちょっと意外で」
「そうですか?なんか、そういうのって女性は絶対しなきゃいけない、みたいな感じで毎日のことじゃないですか。だったら、毎日色々できるのって楽しそうだなって思ったんです」
確かに、詳しくはないようだがイメージは的確で、日替わりで楽しいというのはなるほどなと思う。化粧品などは1本買ってしまえば、無くなるまで当然使うし、肌に合うものを使い続けるというのもあるわけだ。
それでも、洗顔や風呂など、楽しめると言われればなるほどなと思う。
「……それいいかも。それ、いただきます」
「あは、何かお役に立てたなら何よりです」
特集の中にキーに使えると思ったリカは、頭の中でそれを組み立ててしまう。
見ているだけで、リカが、どれだけ真剣に仕事に取り組んでいて、伝えたくて仕方がないのかが伝わってくる。それをこんな間近で好きなだけ聞いていられるなんて、贅沢な時間だと思う。
空井にとっては、今日は思いがけずリカとデートをしているようなものだからなおさらだ。
空井のフレーズにアイデアを得て、フル回転で何かを考えている姿も、我に返って、話しに夢中になって、空井に取り分けられたことを申し訳なさそうにするリカも、どちらもずっと見ていても飽きない。
「稲葉さんって、やっぱり、お仕事好きなんですね」
「まあ……、普通ですよ。普通」
そんな風に誤魔化して見せるリカに、空井は曖昧に頷いた。
―― 素直じゃないところも、稲葉さんですよね……