そんな風に誤魔化して見せるリカに、空井は曖昧に頷いた。もっといい加減にしようと思えばできるところをしないのがリカらしいと思いはするが、あえて触れずにちらりと時計を見る。
テーブルの上は、もうだいぶ消費していて、それも大半は空井が食べてしまっていた。
「稲葉さん、デザートとか大丈夫ですか?」
「はい。もう十分頂いてます。お腹いっぱい」
最後は水を多く飲んでいたからか、すみません、ちょっとと言ってリカが手洗いに立っている間に、会計まで済ませてしまったらしい。
戻ってきたリカに促されて空井は財布を取り出した。
「お待たせしました。行きましょうか」
「あ、自分、半分出しますから」
「いえ、今日はプライベートですよね?それに、私の取材にお付き合いいただいてますから気にしないでください」
しっかりと断られてしまった空井は、申し訳ありません、と頭を下げた。
店を出ながらリカがくすっと笑う。
「はい。どうぞ乗ってください。あと1時間かからないと思うんですけど」
「ありがとうございます。空井さん」
妙に楽しげなリカにはて、と車に乗り込みながら顔を向けた空井にじっと見つめてくるリカの目がぶつかった。
「やっぱり」
「え?」
「私、最近、わかってきました」
何が?と聞き返した空井に、シートベルトを閉めて膝の上にバックとコートを抱えたリカが妙に嬉しそうに笑う。
「空井さんたち、いつも背筋が伸びてきれいな姿勢だから初めの頃はわからなかったんですけど、最近、お辞儀の角度とか、敬礼とか、微妙に違うんだなってわかる様になってきました」
頭を下げるときも、会釈程度の時と、もっと深いときと、思い切り深いときと、おおよそ3パターンくらいあって、気持ちの持ちようもそれぞれ違う。
さっきの空井は、申し訳ないと思ってはいるが、どこか仕事の時とは違って、少しフランクだった気がする。
「なんだか、そういうのがわかる様になってきたんだなって嬉しくなってきちゃいました」
「そんなものですか?」
「ええ。なんだか、ちょっとお近づきになれた気がして」
リカとしては、仕事の相手として何気ない一言だったのだろうが、言われた方の空井は一気に体温が上がる。掌に汗が滲んだ気がして、何度もハンドルを握りなおした。
もっとお近づきになれたら。
そんなセリフで懇親会に誘ったのは自分だったのに、今それを言い返されると予想外の破壊力を持っている。
―― 稲葉さん。本当に、もっとプライベートな稲葉さんとお近づきになりたいって思ってるのは俺の方なんです
まさかそんなことを言えるわけもなく、他愛ない話の間に車は順調に走って、ナビでは後、20分程度で到着すると出た。
「稲葉さん、後20分くらいなので、比嘉さんに一度連絡していただけますか?」
「あっ、はい」
携帯を取り出したリカは、聞いておいた比嘉の携帯宛に電話をかけた。
「もしもし。稲葉です。お世話になっております」
『はい。比嘉です。今、どのあたりですか?』
「えと、後20分くらいだそうです。今、ここは……」
道路の名前と目印になりそうな建物をいくつか挙げると、ああ、わかりました、と比嘉が答える。
『じゃあ、お待ちしてますのでお気をつけていらしてください』
「はい。では、後程」
電話を切った後、空井にも同じことを告げて、リカはバックの中のカメラを確認する。家を出る前にも確認はしてあったが、やはり、直前でも確認するのは習慣だ。
カーナビが、目的地まで、と言い始めるのとほぼ同時に、空井が口を開く。
「そろそろですよ」
「はい」
それらしい建物の近くにつくと、空井がウィンカーを上げて門の中へと入っていく。
車の音に顔をみせた比嘉が小走りに姿を見せた。
「お疲れ様でした。空井二尉、稲葉さん。車はこちらに寄せていただけますか?」
蔵や施設側ではない方に指示されて、ぴたりと寄せると、コートとバックを手に車から降りる。
気持ちだけの菓子だが、比嘉に差し出した。
「今日は取材のご協力、ありがとうございます。これ、つまらないものですが」
「ああ。すみません。ありがとうございます。こちらこそ取り上げていただけるなんて光栄です。じゃあ、早速いきましょうか」
工場という雰囲気ではなく、昔ながらの蔵に近い大きな建物の方へと案内されて向かうと、そこには大きな樽が並んでいた。入り口に立って奥の方を比嘉が除いていると、誰かがそれに気づいたらしい。
「ちょっと待ってくださいね。あ、来ました」
奥の方から白い作業服に身を包んで、帽子をかぶった人が現れて、小走りに駆け寄ってきた。
「いらっしゃいませ。遠いのにご苦労様です」
「僕の奥さんで、この作り酒屋の責任者です」
「比嘉佳代子と申します。よろしくお願いします」
帽子とマスクをとると、比嘉よりも気持ち背が高いかもしれないくらいの色白美人が現れて、リカはバックから名刺を取り出した。
「このたびは無理なお願いを聞いていただきありがとうございます。帝都テレビの稲葉と申します」
名刺を受取った佳代子は、その後ろにいた空井にもちらりと視線を向ける。
「そちらは彼氏さんですか?」
「「ち、違いますっ!!」」
二人そろって、大慌てで手を振ったリカと空井にぷぷっと吹き出した佳代子が比嘉をちらりと見た。
「残念。哲さん、引っかかってくれませんでしたね」
「そうですね。お二人は非常にガードが堅いんです。えと、そちらの彼氏もどきが僕の同僚の、空井二尉です」
そのやりとりで、どんな話がされていたか、想像ができてしまう。ぎろっとリカと空井に睨まれた比嘉が、飄々と空井を紹介すると、佳代子がようこそ、と頭を下げた。