「早速、中をご案内しますね。稲葉さん?中はちょっと寒いので、そのままコート着てらして」
気を使って、上着を脱ごうとしたリカを佳代子が止めて、にこにこと手招きすると、いったん表に出た。初めに、倉庫の方へと案内されると、そこにはスーパーなどで見かける物とは違って、いわゆる農家が袋詰めした状態の米が山積みになっていた。
「うちは、いわゆる老舗さんとは違って小さくこじんまりとさせていただいてるので、私の代になってから結構自由にやってるんです」
佳代子の父の代までは、米も同じ種類のもの、同じ契約農家のものだけを使っていたが、今は割合は少ないが、ほかの銘柄も使う。
「もちろん、混ぜるわけじゃなくて、違う銘柄のお酒を造っている、ということです。日本酒の種類はご存じ?」
「ええ。お米の研ぐ率によって変わってくるんですよね?」
「さすがですね。じゃあ、うちで作っているお酒の種類で言うと、もう少し違う表現ができて、薫酒と爽酒がメインになります。割合、日本酒で有名なお酒は醇酒や熟酒なんかが多いものだけど、私はもっと気軽に、日本酒を楽しんでもらえるようなお酒が好きなの」
見上げれば二階分まで吹き抜けの倉庫に山積みの米は、これでも少ないらしい。やはり、冬は日本酒にとって、旬ともいえて、だいぶもう消費した後だということだった。
米の種類とそれによって、どのくらい研いでいるのか、おおよそのパーセンテージを聞きながら、実際の工場の方へと進む。薄暗い廊下のように見えたところは、壁の明かりをつけると少し廊下と言うよりは広くて、小型の精米機が置いてあった。
「ここでお米を研ぐんです。いわゆる精米ですね。食べるお米よりも随分小さくなるので驚かれますよ」
そう言って、精米が終わって、周りにこぼれていた小さな米を拾い上げる。
佳代子のきれいな掌の上に乗った白い粒は確かに、いわゆる米の形から、随分小さくて、丸いものだった。
「すごい……。あ、ちょっと暗いかな……」
明かりの位置を顔を上げて確認しながら、ハンディで映していく。
そこから表に出ると、精米した米を洗う場所、そして、隣の建物には大きな樽のような蒸し器がいくつも並んでいた。
ここで洗いあがった米を蒸して、初めていわゆる糀作りに入る。
案内されたところも、作業はされていなくて、作業場を撮影することができた。
「ここに蒸したお米を広げて粗熱を飛ばしながら広げるんです。温度を均一にして、そこから糀菌をつけていくわけです」
さらにその後工程の作業を教えられて、道具も広げてもらう。説明を聞き出すタイミングと、道具を映す流れが、空井を取材していた時と全く同じで、初めて取材の様子を客観的に見ることができた空井は、しみじみと感動してしまった。
取材される立場だった時は、嫌で嫌で仕方がなくて、それからある時期をきっかけに、急激に近づいた距離は、取材するものとされるものよりは本当に同士と言う立場になりすぎていたから、この距離でリカの仕事を見られるのは新鮮な驚きでもあった。
「稲葉さん。あれでなかなか、うまい記者さんだったんだろうなって思いますね」
少し離れて取材の様子を見ていた空井に比嘉が小声で話しかけた。
空井がリカの様子を食い入るように見ていて、考えていることが丸わかりだったのだろう。
「……ええ。なんていうんですかね。あの、話の呼吸とか、すごいです」
「僕は、担当じゃありませんでしたから、かなり早いころからそう思ってましたけど、稲葉さんて、ものすごくまっすぐで、真剣にお仕事されてる方だと思いますよ。だから、色々あってもめげずに広報室に通ってきて、僕らのこと取材してくれてますしね」
「すごく……、すごく、わかります。こうしてみるとほんと、まっすぐだけど、それって、こう……固い感じじゃなくて、もっと柔らかく受け止めて、言いたいことをあるべき方向に流してくれるっていうか……」
今でこそ、こうしてべた褒めに近い空井だが、初めの頃は、取材に来たリカに、物騒だ、と言ってみたり、怒鳴りつけさえした。
―― まあ、まんまと鷺坂室長の罠に空井二尉も稲葉さんもかかっちゃったみたいですけど
まるで鷺坂が、よほど悪い魔術師のような言い方をしながら内心で呟いた比嘉は、仕事の時とは逆に、前に手を組んで立っている。
その姿に違和感を感じた空井が怪訝な顔で見ていると、その視線に気づいた比嘉は苦笑いを浮かべて、片手をあげて見せた。
「仕事じゃない時は意識してこうしているんです。接客の際は特にですね」
「はあ………」
ますます怪訝な顔を向けた空井に、比嘉は接客業などで言われている前で手を組む場合によく言われる意味を口にした。
「僕らは、日常では逆ですから、特に意識してこういう場合は前にしてるんです」
なるほど、と声を上げそうになったところで、再び佳代子とリカが移動していくところを追いかける。
そこはもう密閉されているタンクが並んでいるところで、間の過程はそのままの姿では入れないので、申し訳ないが、と言うことになったらしい。
「じゃあ、一休みで母屋の方に行きましょうか。うちは母屋を改造して、試飲したりその場で買って帰れるようにしてるんです」
古い民家をわざわざ移築したという母屋は、酒屋と言うより、古さを生かした洒落たカフェのような佇まいになっていて、空井は半分口を開けて店内を眺めてしまう。
「素敵ですね。営業日は決まってるんですか?」
「基本的には土日は、お買い上げの方のみ、平日の日中は奥様方の一休みのために、午後だけお店としてあけてるんです」
酒粕を使った甘酒と、酒饅頭がメインの店だが、近隣の人々にはなかなかの人気らしい。
明かりの入る庭に面したガラス前の席に決めたリカは、テーブルの位置と、小物を多少移動させて撮影する。甘酒と話題の酒饅頭が運ばれてくると、空井もリカも思わず目を丸くしてしまった。
「おいっしい!」
「ほんとだ。比嘉さん、めちゃくちゃおいしいです、これ」
嬉しそうに笑った比嘉は佳代子の方を振り返って、満足げに頷いた。
「それはうちの奥さんに言ってください。僕は実質ここでは何もしてないバイトの身ですから、たまにこうして時間があるときに手伝うだけのバイトに褒められてもね」
「そうかもしれないですけど、でも、本当にすごくおいしいです」
リカが佳代子の方へを向き直って、わざわざ繰り返すと佳代子も嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます。テレビ局のディレクターさんに褒められたら、ちょっと自慢したくなりますね」
「いえ、全然、私なんて自慢にもなりませんが、これは本当においしいです。街角グルメでも取り上げたいですね」
特集では日本酒にフォーカスしているが、甘酒もほのかに生姜がきかせてあるらしく、甘いだけではない味わいがなかなか大人好みである。酒饅頭は餡がまた、ただの餡ではないようで、ほのかに桜の風味がする。
「それも季節によって変えてるんです。春先までは桜の塩漬けを使って、秋から初冬までは干し柿って。何も入らない餡は、実は12月だけの限定販売にしてます」
「それを目当てのお客さんもね。随分いるんですよ。1日の販売個数は限界があるので、いつもものすごい行列になるんです」
それもわからなくもない気がする。これを一つ食べただけだが、ほかの味に対しても期待が持てる。
ぜひ、持ち帰りにも買いたいというリカに、とんでもない、と言って、佳代子はお土産にと空井とリカにそれぞれ饅頭を包んでくれた。