素のままで 3

「ルームサービス、取りましょうか。お腹、空いてますよね」

すとん、とベッドに座った膝の上にリカを抱え上げると一緒になってメニューを覗き込む。

「あ、あの、空井さん、私、重いから……」

リカの予想以上に、甘すぎるスキンシップがあまりに恥ずかしくてついうっかり、呼び方が戻ってしまう。
メニューから顔を上げた空井が、じぃっとリカの顔を見つめた。

「今、空井さんに戻った」
「あっ、だって」
「それに、リカぐらい重くない。そのくらい鍛えてるし」

怪我した方は反対側で、しかも座っているのだから負担にもならない。それでもベッドに手をついて、空井の腕から離れようとするリカをぎゅっと抱き締めた腕に力が入る。じと、とリカを見た空井にリカの方が白旗を上げた。

「そう言う問題じゃ……。……大祐さん」
「何?」
「……ワイン、飲みます」

いつもはビール派のリカが珍しくそう言うのをにこっと笑って空井が頷いた。

時間も時間だけに軽く頼んだものを食べながら、1週間の出来事を互いに話す。

「だから、もう、どうしてやろうって思ったんですけど」
「あはは。それじゃ、またガツガツって言われちゃうよ」
「だって、それがないと完パケしないんだもの!」

机の上に置いたナプキンを掴んで力説するリカも、あの頃と同じようでいて少し違う。
口調も、仕事に対する真面目さも変わらないが少し、いや、だいぶ柔らかくなった気がした。かつてなら、自分から乗り込んで行って噛みついていたかもしれない話も、こうして聞いていると随分変わったらしい。

「でもね。ちょっと待つことにしたの。それでいい結果が出ればいいかなって」

へへっと舌を見せて話うリカが、可愛くてリカのグラスにワインを注いだ。
なんだかんだと言いながらも空井は、周りに鍛えられて酒には割合強い。それとは逆にリカはビールならそこそこもつが、それ以外はそれほど強くない。

もう、ボトルの中にはほとんど残っていない頃になって、ゆらっとリカが立ち上がった。

「やばい……。飲みすぎ」
「もう1本空だよ」
「う……」

自分でまずいと自覚があるのか、目元がピンクに染まった状態で、リカは自分の頬を両手で押さえた。部屋の入り口に放り出していた鞄に向かって行って、ぺたりと座り込んだリカは、深く息を吐きながら何とか酔いを醒まそうとする。

「あの、私、お化粧だけ落としたいので……。バスルームを少し借ります」
「あ!これ、明日、よかったら上だけでもと思って」

空井の持っているシャツの中でも、女性が羽織ってもそれほど違和感がなさそうなシンプルなものを選んできた。紙袋ごと差し出されたシャツをみて、こく、とリカが頭を下げる。

「ありがとうございます。お借りします。じゃあ、ちょっと先に」
「あ、うん。大丈夫?」
「平気、です」

若干危なっかしい足取りでバスルームに向かったリカを不安そうに眺めると、残ったワインを飲み干してルームサービスのテーブルを脇に寄せた。

手持ち無沙汰にテレビを低くつけて、ぼんやりと眺める。
いろんな場所に出張でくことはあっても、こうしたホテルに泊まることはほとんどない。この後の時間を考えると、男の方が落ち着かないというのもあまりに露骨すぎる気がしたが、1週間前を思い出さずにはいられないのだから仕方がない。

落ち着かない気分でいると、ばらばらっと何かが派手に散らばった音がした。
気になって、そっとバスルームの方へと近づいて、こんこん、とノックしてから声をかける。

「リカさん?リカ?大丈夫?」

のぞいていいものか躊躇したが、返事がないことに心配になって、細目に隙間をあけた。そこに見えない方がまだ安心できたはずなのに、予想外な光景が広がる。床の上に化粧品をぶちまけてしまったらしく、冷たい床にタオルを巻いたリカが座り込んでいた。

「うわっ。なにしてるの」

バスルームとは分かれているが、床の上は真っ白なタイルで濡れた体で歩いてもいいようになっている。その上に真っ白なタオルにくるまったリカがうずくまっていればさすがに驚く。
大きく踏み込んだ空井が、慌てて床の上に散らばった化粧品を拾い上げて洗面台の上に置いてから、うー、と唸って座り込んでいるリカを抱え上げた。
シャワーを使った後で濡れてはいたが、ひとまずバスタブの端に寄り掛からせると、うう、とまだ小さく呻いている。

「大丈夫?どうしたの……」
「だい、じょうぶ……。ちょっとぶつけただけ」

ぽつぽつと痛みをこらえていたリカの呟きをまとめると、シャワーから出ようとしてタオルを手にしたところまではよかったが、体に巻いて出たところで足が引っかかって転びそうになったらしい。
その勢いで、洗面台の上に置いていた化粧品をぶちまけて、さらに腕をぶつけた。

指先まで痺れていたのが取れてくると、はぁ、とため息をついたリカが空井の腕にもたれかかった。

「ちょ、ほら風邪ひいちゃうって」
「……って」
「ん?」

濡れた髪もそのままで、支えてくれる空井の腕に頭を寄せる。

「1週間……。こんなに長いと思わなかった」
「……」
「前はあんなに長い間、会えなかったのに……」

会えなかったからこそ、解放された今は、会いたくて仕方がなかった。
小さな話も、なんでもないことでも、話したくて、一緒にいて笑った時間も、ふとした瞬間に見る顔も思い出して仕方がなかった。仕事をしている最中もずっと頭の片隅にあって、会いたいと思ってしまったらどうしようもなくなるからなるべく考えないようにしても、どうしようもなくて。

「……わかったから。風邪ひくって」

手を伸ばして、空井が棚の上のバスローブを指先にひっかけて引き寄せる。それをリカの体に着せ掛けて抱き上げるとひどく軽く感じた。
ただ、前と違うのは、体を固くして抱き上げられていたのと違って、その細い腕を空井の首筋に巻きつけていることだ。

ベッドまでリカを運ぶと片足を器用に使ってリカを下ろそうとして苦笑いが浮かぶ。

「腕、離してくれないとこのまま襲うよ?」

体を起こそうとすると巻きついた細い腕がそのままついてくる。さすがにここまで酔っぱらっているリカに無理強いするのはかわいそうな気がして、せめて自分の熱を逃がすためにシャワーに行こうと思っていたのに、これでは離れるに離れられない。

「私、今、酔っぱらってるから」
「うん。わかってる」
「だからいや」

―― うん。それもわかる

だから離してと言いかけた空井の首筋にリカが強くしがみ付いた。

―― だから、はなれるの、いや

思いがけない言葉に、空井の中のリミッターが弾け飛んだ。

 

投稿者 kogetsu

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