Cry For the Moon 11(31~)

「……あなたが稲葉さんの……」

パスケースのカードに書かれた身分を口に出しはしないが、面食らったのは確かだ。一般人と言うにはさすがに無理がある。

「念のために申し上げておきますが」
「わかっています。指示には極力従うつもりです」

釘をさしておこうとした速田の先手を打った空井に、小さく頷いた。言わずものがなではあるだろう。
まして、あのリカの相方ならばなおのことだ。

「わかりました。ひとまず、いいことにしましょう。今は」

そこから素早く車内へ視線を走らせて、様子をチェックしていたようだ。買い込んできたものなどをちらりと見ていたが、インカムに手を当てて、後ろを振り返る。

「隊長。速田です。現在、帝都テレビの取材チームと合流しました」
『わかった。少し待ってくれ』

その間も時折、速田の目は空井に向かう。
その身にまとう雰囲気が気になった。

「空井さんはどちらに勤務されているんですか」
「自分ですか。市ヶ谷の空幕広報室で広報官をしております」
「広報……。なるほど。ではあまり現場には?」

一瞬の間を読んで、藤枝が口を開いた。

「空井さんは元パイロットです」

現場に出てないと思って舐めるなよ。

物腰が柔らかい藤枝が急に身を乗り出したことが速田には少し意外だった。同僚の夫というだけではなく、空井のことを知っていそうな藤枝に小さく喉の奥で咳払いをする。

「藤枝さん」

空井の身分では一般民間人というには無理がある。

そう口にしようとした速田の耳にインカムが鳴った。

『速田。そこにカメラマンはまだいるか?』
「ええ」
『なら、いつでもすぐ撮影できるように準備しておいてもらってくれ』
「隊長?」

今は報道規制中で、たまたま巻き込まれたとはいえ、帝都だけを特別扱いすると言うわけには行かないはずだった。
質問し返した速田に答えることなく、香椎はまた連絡する、といってインカムをきったようだった。

インカムに意識を向けた速田は目を上げた。一度、指揮車に乗せたのだから坂手のことはわかっている。

後部シートに座ったままの坂手の様子をみて、頼めば撮影はすぐできると、あえて口には出さなかった。

「稲葉さん」

いくつもの案が出たが、扉の向こうで響いた衝撃に仕掛けられた爆弾は本当なのではないかと、どの案にも否定する意見が出てまとまらない。結局、なにも決まらないまま、なし崩しに救助を待っていた。

元のままの場所でうずくまり時間が過ぎるのを待っている。

「稲葉さんは、うちの逃げていった行員たちをどう思いました?」
「……私には」

ひどい、とも思う。
仕方がないとも思う。

「どうして、とは思います」
「どうして?」
「ええ。お金がほしくて銀行を襲撃するなら、さっさと奪ってしまえば終わりじゃありませんか?」

曖昧に頷いた宮原に向かってリカはずっと抱えていた疑問をぶつけた。

「でも……なんだかそんな風には見えないんですよね。お金はもう払ったのに、まだ解放されないし、警察だって動いているでしょうに、何もこちらにはその動きが見えないじゃないですか」
「それは、外も見えませんし、仕方がないのでは?外からも中の様子はわからないでしょうから、犯人がいるかもしれないと思っているかもしれませんし」
「それはそうなんですけど」

どこか一貫して他人事。
人質になっているこの場に残された客たちも、どことなく緊張感が薄いのは、この場に犯人らしい人物もおらず、きっと誰かが何とかしてくれる。

そんな気持ちがあるからだろうか。

そんな中で頼られる格好になってしまったリカには、逆に強い危機感に襲われていた。部外者の自分にこうしてこの場を任されても責任などとれはしない。それは承知のことだったろうが、修羅場の経験値で語られるレベルの事態ではないはずだ。

こう着状態になってしまったこの事態を何とか動かすために、じっと椅子に座ったまま考え込んでいたリカの目に、天井の片隅にこちらを向いている防犯カメラが目に入った。

「そうか。防犯カメラを見ていてくれたら、もしかして……」

店内に入れなくなり、外部からのコンタクトもできなくなってしばらくたつ。当然、警察に連絡がいっていなかったとしても、異常を感じれば警備会社でも防犯カメラを確認しているはずだ。

「宮原さん!紙!大きな、A3とかそのくらいの大きな紙ないですか?!」
「紙、ですか。大きい方がいいんですか?」

A4ならコピー用紙があるし、窓口には吐き出し伝票用の紙があるが、それらはリカのいうサイズよりもはるかに小さい。

「できるだけ大きな紙、それと、マジック!ありませんか」
「たぶん、ポップを作るときの紙があったかと……」

フロアの中を横切って、壁際のキャビネに近づく。引き出しの中には、ボーナス時期などに支店内に掲示するポスターなどを作るための先の太いマジックが各色並んでいる。

「色は?」
「なんでも……、あ、黒で!」

分かればいい、と言いかけて、防犯カメラだけにモノクロだったらと思い直す。余っていた掲示用の紙をもらったリカは、いくらも枚数がないことを見て、コピー用紙を繋いで、そこに何枚かをかさねることにした。

「あのう……、何をしてるんですか?」
「いわゆるカンペです。もし防犯カメラを見ていてくれたとしたら、外と連絡が取れるかもしれないので」

一枚目には単純に見えていますか、と書き始める。どのくらいの画面サイズで映っているのかもわからないので、なるべく大き目に書いた後、紙をめくって再び書いていく。こちらの人数、状況を簡単に書いていく。

「……よし。これで何とかなるはず」

紙を用意したリカは、まず行員たちの様子をとらえている防犯カメラの前に立った。

ドアを開けろ。

それが最優先だと怒鳴りつけられた七海は、、中丸のような態度の男が一番たちが悪い、と思いながら出入り口を施錠しているファイルを探していた。版管理はしているから、問題があってもバックアップから該当のファイルだけを上書きしてやればいいはずだ。

調べてみても、ほとんどのファイルに差分がない。
タイムスタンプもきちんと書き換えられていて、バックアップファイルとの差は、ファイルサイズだけだ。

誰がやったのかは知らないが見事な手際だと思う。念のため、スクリーンショットと、履歴を保存しておいてから、バックアップファイルを上書きする。
仮にも、警備会社のシステムにそう簡単に侵入できるとは思っていなかったが、簡単に書き換えできるものなのかと逆に関心してしまう。

七海も街コンに出ていた一人で、その時は今のような地味な姿ではない。化粧も変えて、髪型も変える。メガネをはずしてコンタクトにして、服装も今とは全く違う。

すっかり別人になった七海は”M”とアドレスを交わした本人だ。

初めは面白半分と、仕事の鬱憤を晴らすように、合コンに参加してみたものの、そこでも職場と同じような男ばかりでうんざりしてしまった。同じように感じている女性たちと、何となく集まってしまい、そこから面白半分で提案したことに皆が乗ってきた。

無邪気に。
悪意もなく。

こんなことをしてみたらどうだろう。
どうしたら見つかることなく完璧な計画になるだろう。

日頃は抑圧されている分、自分達はもっとできるという自己顕示欲と、お互いに自分の方がもっといい案が出せる、という競争意識とに追い立てられて、計画はどんどん仕上がって行った。完成に近づくにつれ、机上の空論ではあっても、銀行の動きを止めて、お金を出させるための仕掛けができるかできないかにかかってくる。現実問題として、彼女たちは身元がすぐにばれるような動きはそもそもからとっていないだけに、誰が、そしてどうやってそんな仕掛けをするかが問題だ。

当然、七海もセキュリティの厳しさや厳重な仕組みであるとは口にしても、法に反するような内部情報は一切口にしていない。
一般的にもすぐにわかる出入り口がどこにあるか、程度の事で後はうっかり口にしそうになってもお互いが止めに入る。

だから、彼女たち一人一人は机上の計画をたててはいても、実際に今事件を動かしているのとは少し違う。

「面白そうだね。それ」
「悪ノリだって笑わないのね」

はにかんだ顔を髭を伸ばしてバーの中でもワイルドな顔をしたMが覗き込む。手にはウィスキーのロックと煙の立ち上る煙草。
何度目かのバーだが、その距離感は始めに会ったときとまったく変わらない。食事をして、バーで飲んで、適当に店を出ると少しもためらうことなくあっさりと帰っていく。

よくわからない男だとは思ったが、周りにはいない種類の人間だとも思う。だから、何となく気になって連絡すると、返事が返ってくるときもあれば何日も反応がないこともある。

「Mさんってちょっと呼ばれるのに抵抗ないの?」
「別に?そう名乗ってるから当たり前だと思うけど」

SEAとHNでは名乗っていた七海だが、外でそれを呼ばれるのは恥ずかしいと、名前だけは名乗っている。同じように名乗るかと思ったが、Mは何の抵抗も内容だった。

「それより、その話。もう少し詳しく聞かせてよ」
「そんなに興味ある?だって、実現できるの?」
「できるよ~。俺に任せてくれればね?」
「だって、実際には私達は」

犯罪を犯すなんていやよ。

そう続くはずだった口元に人差し指が一本、黙って、と添えられた。

「仕込みは全部やってやるよ。あとは、普通に対応すればいい。そうだな。金の回収と発送のところだけでもやってみる?スリルあるけど?」
「それは……」

七海は少なくとも嫌だった。業務にも関わらないし、そんな立場で妙な動きをすれば疑われてしまう。
だが、メンバーの中にやりたい者がいたら止める気はしなかった。

聞いてみる、と言って呟かれた言葉はすぐに広がり、何人か、おそらくリアルに日常で接しているのだろう。陥れられるなら、そして、疑われたりしないなら、やってみたいという声が上がる。

「ほら。いるだろ?皆スリルがある方がさ。退屈でストレスのたまる日常にちょっとしたスパイスだよ」

どこまでも軽く面白がっている口調に七海は自分自身を納得させるための言い訳を頭の中で繰り返す。自分自身は関わらない、対応も普通にトラブルとなれば出動すればいい。誰がどんなふうに手を動かしているかを知らなければ、疑われても、聞かれても答えようがないのだから安全なはずだ。

「迷うことないだろ?有能な女性陣が考えた素敵なアイデアじゃないか。しかも、誰も困らないどころか、ハッピーになる」
「でも……」
「それとも、結局、遊びで終わらせる?こんなにパーフェクトな作戦だって実証したくない?もったいないなぁ。手を動かさなくても確かめられるんだよ?」

一歩引いた距離感が急に近づいて近づく。肩をぽんと叩かれて、勢いに押し出されるように頷いた。
すべての段取りも、手配も、Mが済ませて連絡をしてくる。

後には引けないという感覚と、奇妙な昂揚感を感じていた。

何も知らないから、自分が疑われたり、困ることのないように、証拠だけは残したうえでセキュリティを解除する。
書き換えた直後に、コントロール画面の開錠ボタンが触れるようになった。

解除する前に七海は腰を上げる。

「すみません。ビルの中向けのドアですが、解除できるかもしれませんが、進めて構いませんか」

無線機や書類が置かれた長机の前から中丸たちが立ち上がって近づいてくる。
SATの隊員たちも装備を身に着けた状態で七海の背後に集まった。

「できるのか」
「たぶん、としか言いようがないのですが、書き換えられたと思われるファイルをすべてバックアップから戻したので、開錠ボタンが選択できるようになったんです。開錠して構わなければやってみますが」

すぐに開錠してどうだということもできたが、そのほかに仕掛けがあるかどうかは七海にはわからない。
眉をひそめた中丸の前に香椎が割り込む。

「中丸隊長。ここはほかに仕掛けがないかを確認してからにすべきかと」
「NPSにSATの方針を指図される覚えはない!」

ぴしゃりと遮った中丸が振り返ると無線機を握った。

「処理班。中丸だ。解錠に支障はあるか」
『こちら処理班。外部への出口に仕掛けられた爆弾を解除したところです。まだすべての爆発物の処理は完了しておりません』
「……今、行内に入るドアで爆発物の解除ができているところはあるのか」
『もうまもなく通用口に近いドアが解除できるかと……』

決して処理班が遅いわけではない。だが、中丸の焦りが伝わるのかひやりとした空気に戸惑ったのか、申し訳ありません、と無線から小さく聞こえてきた。

「中丸隊長」

無線を握ったまま眉間に皺を寄せた中丸は香椎をじろりと見る。
無線と中丸の間に立った香椎は、癖なのか一瞬左に顔を振ってから中丸を見上げた。

「お願いします」
「……なんだ」
「古橋」

目線が何かを伝えて、古橋は頷いて立ち上がる。
七海にすみません、といって席を立たせると、廊下へと誘って連れ出した。

表に出て行った二人のあと、ドアがぴたりと閉まるのを待ってから香椎は中丸と視線を合わせる。

「帝都テレビの取材スタッフがまだ近くにいますので、彼らを呼び寄せます」
「何?!民間人だぞ!」
「彼らにドアを開けるところから撮影させます」

驚いて目を見開いた中丸に香椎は続けた。その先の計画は無線を握り締めた手を確かに止めた。

「……だが」
「お願いします」
「それには中と連絡が取れていることが前提だろう」
「ええ」

じりじりした睨み合いが続いた後、ふっと中丸のほうが折れた。
香椎から視線をはずし、手にしていた無線機を持ち上げた中丸がその姿勢のまま、呟く。

「……できるのか」

低い問いかけを聞いた香椎のほうも、中丸からすでに視線は別なほうを向いていた。

「できるかも……。いや、できそうですよ、中丸隊長!」

その声音が変わったことに気づいた中丸が振り返り、その視線の先を追って目を見張った。

プロジェクターには、防犯カメラが映し出されていたが、どれも先ほどと映っている数に変わりはない。だが、そのひとつがついさっきまでとは違うものを写していた。

投稿者 kogetsu

「Cry For the Moon 11(31~)」に3件のコメントがあります
  1. 映画も見に行く予定ですが、 狐さん なんだかすごくワクワク ドキドキします。 何が起きるんだろう~

    1. こんばんは。楽しんでいただけているようでよかったです!のんびり更新ですが引き続きよろしくお願いしますー

  2. 映画も見に行く予定ですが、 狐さん なんだかすごくワクワク ドキドキします。 何が起きるんだろう~

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