夕焼けの朱と夕闇の藍 12

「でも、本当に、夕食、何か食べませんか?」
「あ、僕、あってもなくても大丈夫なので、稲葉さんがお腹空いているならで大丈夫ですよ」
「お酒飲むとき、ご飯食べない派ってことですか?」
「いやどっちでもいいってことです。食べる時もあれば、男同士で家飲みなんかしてたら乾き物にカップラーメンとかですよ?」

―― それって女性の部屋に来て、乾き物にカップラーメンでおもてなしってないと思う……

よし、と膝を一つ打ったリカは立ち上がった。

「空井さん、食べられないものありませんよね?好きなものは?お魚とお肉だったらどちらが好きですか?」
「自分、なんでも食べます。肉も魚も食べますし。ほんとに、稲葉さん、お疲れなのに、気にしなくていいですよ」
「いえ。私もお腹空いたので、たいしたものは出来ませんけど」

キッチンに立って、電気をつける。
先に時間がかかるものと思って、米を洗う。初めだけ冷たい水で流してから後半は温水に切り替える。ザルにあけて高めの温度の水に入れたままにして、重たい鍋を引っ張り出す。

有名なホーローの鍋で、急いでご飯を炊くときは電気炊飯器ではなく、これを使うことが多い。
男性がいるからと、2カップを洗った後、不安になってもう一カップ足した。

「空井さん、普段夜ご飯とかどうされてるんですか?」
「僕ですか?うーん、色々ですね。自炊もしますし、面倒くさいと外で食べちゃったりとか」
「自炊もされるんですね。そういえば峰永さんの結婚式の時に、鷺坂室長が皆さん、家事は何でもできるって」

鍋をコンロにかけてから、もう一つ鍋を取り出してなみなみと湯を入れて火にかけると、冷蔵庫から大根とパックに入った鯛のあらを取り出した。先に、鯛のあらを始末しておいて、大根の皮をピーラーで剥いてから拍子木に切り始める。

手持無沙汰だったのか、立ち上がった空井がキッチンの傍に来る。

「見ててもいいですか?」
「わっ!……別に構いませんけど……、下手ですよ?大したもの作れませんし」
「全然、気にしないでください。僕の方こそ押しかけてきてるんですから」

キッチンカウンターの端に寄りかかった空井は、きれいに片づけられたキッチンで包丁を使うリカを眺めていた。
片付き具合から見て、普段、というより平日はほとんど料理などできないのだろう。その割に、道具類や調味料は揃っていそうなので、休日限定で腕をふるっているのだろうか。

リカの手元で切りそろえられた真っ白な大根が積み上がっていく。

「言うほどちゃんと作れたりはしないですよ。一応、基礎を叩きこまれるからいざとなったらできますけど、普段はある物とか残り物ばっかで面倒くさくなっちゃうんですよ」
「そうなんですか?」
「男の一人暮らしなんてそんなもんです。この前、ちょっとずつ余っちゃったものがあって、全部ぶちこんでチャーハンにしたらこれがもう!」

その先が気になって振り返ったリカに、何とも言えない顔で空井が頷いた。

「え、すごくおいしかった……?」
「もの……っすごく、奇怪な味になりました!」
「奇怪って……食べ物に使う言葉じゃありませんよ?」

重々しい頷きを返したかと思うと、空井はが腕を組みながら奇怪の中身を口にした。

「納豆と、昆布の佃煮と、キムチなんですけど、もう、なんていうか、この世のものとは思えない感じで」

真剣な顔で言うから余計にその味が想像できなくて、口元が歪む。

「そ、それ、全部食べたんですか?」
「意地で食べました。納豆のねばねばと昆布のぬるっとした食感と、そこに若干酸っぱくなりかけのキムチは混ぜるもんじゃないです」

想像を超える味らしいことは確かでくすくすと笑い出したリカが、沸いた湯に鯛のあらをそうっと沈めた。

「空井さん、おかしいですよ。それ。でも、皆さんが鷺坂室長みたいに料理ができる方だったらちょっと女性は困るなって思ってたから、ほっとしました」
「鷺坂室長は特別ですよ。僕もあの時お邪魔して初めて知りましたから」

時計を見ながら炊いている方の火を少しだけ弱めたリカが、さっと熱湯に沈めたアラを見てからボウルを取り出す。ざるにキッチンペーパーを敷いて、鍋をあけようとしていたところに、空井が近づいた。

「稲葉さん、やりましょうか?それ、熱そうだし」
「あ、大丈夫……っと」

鍋つかみと布巾で持ち上げようとした鍋の重さと熱に反射的に手を離したリカから、空井が布巾を受け取った。

「やります。危ないんでちょっとどいててください」
「……すみません。じゃあ、この中に一気にあけちゃってください」
「了解です」

大きめのボウルに、アラごと、ざーっと熱湯をあける。ものすごい湯気が上がって、かなりぎりぎりまでいっぱいになったボウルから離れると、開けた鍋を空井が流しに置いた。すぐに水を流して目の前にあったスポンジを手に取る。

「これ、洗っちゃっていいんですよね?」
「あ、はい。じゃない、大丈夫です。やりますから」
「いや、このくらい手伝わせてください。ほんと、押しかけてきてるのは僕の方なんで」

手早く洗剤をつけると、ざーっと鍋を洗う。
油を流し終えた鍋を手にすると、隣に立ったリカがそれを受け取った。

「ありがとうございます。さすが手際がいいですね」
「奇怪なチャーハン作りますけど洗い物くらいは」

ぷっと吹き出したリカがあはは、と笑いながら、ボウルからざるを持ち上げる。濾された出汁を鍋に戻して、拍子木にした大根を入れると、コンロに火をつけた。
隣りで見ていた空井は、意外だという気持ちと、リカらしい、と言う気持ちの半々を口にする。

「稲葉さんこそ、料理するんですね」
「そりゃ、一応は女ですし、一人暮らしですから。でももっぱら簡単なのが多いですよ。ちゃんと作るのなんて、たまにです」
「そんなことないですよ。すごく手慣れてる気がして」

ふーっとまだ熱いアラに手を伸ばしたリカが器に身をほぐし始める。それを見ていた空井が、横から手を出して、同じように塊から身をとり始めた。

「私、長女なのは、以前お話しましたけど、母が働いていたので自然と料理は……。でも祖母や母から教わった料理なんて、家庭料理っていうか、もう、あるものを何とかするようなものなので、鷺坂室長みたいな料理なんてできませんよ」

だから、今日は本当に申し訳ないんですけど。

そう言ったリカに、空井は首を振った。
こうして、リカの部屋で一緒にキッチンに立っていることだけでも嬉しくて、落ち着かなくてどぎまぎするというのに、申し訳ないことなんかない。

「じゃあ、今日作ってくれるのは本当に稲葉さんちの味なんですね。どこかのレシピとかじゃなくて」
「そうですね。味の保証はできませんけど」
「いや、すごく嬉しいです。こうして一緒に並んでるだけでもなんか、新婚さんみたいで……」

ついうっかりと口を滑らせた空井は、まだ熱い塊に手を伸ばしかけて自分の発言を脳内でリピートする。

―― あ。

「えっ?」

同じように、手にしていた塊を骨と、皮と、身に分けていたリカが顔を上げた。

―― 新婚さんみたいって、今、言った……?

「あっ!!いや、その、よく、テレビなんかでよく、ある、じゃないですかっ。自分、そういうのって彼女いたのも随分前ですし、経験なくて」
「彼女さんと、キッチンで、一緒に料理をしたことがないと」
「いいいいや、あの、そういう相手も、いなかったようなもんですから!」
「でも彼女はいたんですよね?芳川さんもガールフレンドみたいでしたし」

どこか、はっきり区切りながら突っ込んでくるリカに、慌てた空井は思わず、手にしていた鯛の頭に力を入れすぎて、粉々にしてしまう。ああ、と呟いたリカに、ごめんなさい、と言いながら、深く深呼吸した。

投稿者 kogetsu

「夕焼けの朱と夕闇の藍 12」に3件のコメントがあります
  1. 続きお待ちしてました!
    リカちゃんはお料理まで出来て凄いですね。
    完璧なのに空井さんとジレジレになっちゃう
    ところがかわいいな~
    空井さんがお料理出来ないのは女として
    安心しちゃいますね。

    他のお話も増えてて嬉しいです(*^。^*)

    1. サワコ様
      こんばんは。料理、独学というか、きちんと習ったことがないとちゃんとできる人には引け目感じちゃいそうですよね。
      引き続きよろしくお願いします。

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